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自然体

今朝は曇り空、重くて低い空は今にも降りそうですが、墨絵のような濃いグレーのお布団を載せたようで山は静かです。

最近はほとんど人と会うことが無い散歩タイム。
「みんなどうしているのかなあ?」と思っていると一人の杖つくお爺さん。

いつもは挨拶だけで通り過ぎるのですが、今日は止まって私たちが来るのを待ってくれているようです。

丁寧にお辞儀して「最近見かけませんでしたね。」優しいお顔です。
同じ時間、ほぼ同じコースなのに一筋違えばお会いすることはないのですが、私と同じように思ってくれている方がいたんだとちょっとうれしくなりました。

なんでもない時間、最近はこれがとても大切に思えるようになりました。

何か目的があって達成するために没頭する時期、そしてたどり着いた喜びはもちろんいいことです。

そして弧独が嫌な人はいつも誰かと一緒にいることで充実した時間を過ごしたと思えるようです。

何か手を動かさないと物足りない人や、動いていないと、取り残されているような気になる人もいます。

本を読んでないと知識が目減りするようで月に3冊は読んでいるという友達もいますが3冊を読むことに目的が移行して、心を揺らす感動が無いとも。

私たちは何もかも数字で表すことによって自分の立ち位置を確認してきたように思います。

何点、何パーセント、何回すればと。
その縛りから抜けることが不安で集団の中のできれば上の方、そこで安心して自分はよくやっていると安心材料にしていますが、果たしてそれが充実した人生を送って言えるかどうかはわかりません。

比べるから苦しむ、不安になる。でもその中から逃げるのは負け組。

理想のくらしかたは晴耕雨読と聞いたことがあります。
晴れたら田畑を耕して、雨になれば好きな本を読む。

競争もないし、気楽でいいと思えるのはどんな時期に来るのでしょう。

以前は体調を崩したり、何かの都合でいつものことが出来なくなった時一日でも早くもとに戻そうと思ったものです。

今回、もちろん、しばらくの間は左手が不自由ですから、思うようにいかないことばかりですが、なぜか焦りが無いのです。

この状況を楽しもうと思うことの方が大きく占めて、何ら焦ることがありません。

知らぬ間にグーが出来た!顔を洗うことが出来た。ゆっくりでも元に戻そうとする体の不思議をみつけたように思いました。

自分の意思だけではどうにもならないことの方が多いこの世の中、
自然の治癒力に任せることも決して無駄ではないように思います。

同じ一日、ぐったり疲れて夜を迎えるのも、お昼寝してゆっくり過ごすのも
気が付かないうちに自分でえらんだ過ごし方なのかもしれません。

公園の隅っこに水仙のつぼみ、薄いレモンイエローのふくらみをあくせくしていた時にはきっと見つけられなかったかもしれません。

今日もいい日にしましょう!





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