見出し画像

今、「自分を愛する教育」が必要な理由

学力でも、いじめ対策でも、働き方改革でもなく?
自分を愛する教育?

はい。全ては「自分」に帰結します。
少し立ち止まって、読んでいきませんか?



初めに


どうも、幸せ追求教師、ニキチャコです。

記念すべき50本目の記事です!

今回は土日の日課である朝散歩中に、ふと「幸せ追求教育のビジョンを明確にしていくべきだな」と感じたので、時間のあるこの機会にその熱を持ったまま書き上げようと思い立った次第にございます。


私が幸せ追求教育を行った先に見ている世界は、全ての人がつながり合い、愛し合い、高め合う。争いのない、穏やかで、思いやりにあふれた世界です。
幸せの連鎖が世界を包む未来です。


簡単に言うと、世界平和です。
自分だけが得をするものでもないし、日本だけが世界に先んじて飛び出るためのものでもない。
みんなの長所がみんなの短所を補い、みんなで一つになる世界です。
全員で勝つ!

大真面目な話です。

あまりにも壮大ですよね。


この目標を達成するためには多くの段階が存在します。その中の一番重要な起点が、自分を愛するということなんです。


意味が分からないですよね。笑

「なんでそこ?もっとあるんじゃない?」と思った方もいると思います。

「そう!それそれ!それなんよ!」と思ってくださった方もいるかもしれません。

なぜ、「自分を愛する教育」を行っていくべきなのか。

この記事で理解していただけたら嬉しいです。


なぜ「自分を愛する」ことが重要なのか


自分を愛するとか、何それ?
自分に甘くしろってこと?
自分を好きになれ?
ナルシストじゃない?
いやいや、そんなの嫌よ。笑
恥ずかしいじゃん。笑

そんなことを考えた方もいらっしゃるでしょう。

生理的に受け付けない!
と感じる人もいるかもしれません。

なんとなくその気持ち、わかります。
私の周りにも、たくさんいらっしゃいます。

「こんな自分を愛するとか、あり得んでしょ。」
そう言う声も、実際に聞きました。

大丈夫です。それは普通です。

それが今の日本のスタンダードかもしれません。

それはつまり、大多数の当たり前であるということです。
常識
と言い換えてもいいですね。

ですから、自分を愛していないとどんなことが起きるのか、まず知ってください。


自分を愛さないと何が起こる?


「自分を愛する」と言う言葉に抵抗がある人もいますね。

ナルシストじゃないの~?やだやだ~って。

こんな言葉があります。

花が好きな人は、花を摘むが、
花を愛する人は、水をやり、元気に育ってねと声を掛ける。

愛するとは、大切にするということです。

つまり、自分を愛するとは、自分を丁寧に扱い、自分のためのためになることをする。と言い換えることができます。

ナルシストは、「素晴らしい自分」しか愛してません。

その点が決定的に違います。

自分を愛するとは、ありのままの自分を大切にするということです。




それでは、自分を愛していなければどうなるのか、考えていきましょう。



自分を大切にしない人は、人に大切にされないし、人を大切にできなくなります。

自分を大切にしない人はその自分自身に対する姿勢が、言葉や態度に出ます。

すると、「本人が大切にしていないなら、こちらも大切にしなくていいよね?」と周りは思ってしまいます。

割れ窓理論をご存じでしょうか。教育界では有名ですね。
簡単に説明すると、教室環境が整っていなかったら、さらにどんどん汚くなるし、トラブルも起こるよ。というものです。(簡単すぎる?笑)

これが人に対してもあてはまるということです。
自分を粗末に扱っている人は、相手に自分を粗末に扱ってくれと伝えるようなものなのです。

具体的な例を出しますね。

クラスで笑いをとるために、自分のことを「豚」という男の子がいました。すると、仲の良い友達に「豚」と言われ、「豚と言われて嫌だった・・・」と喧嘩になりました。周りの子たちはもちろん、「いや自分で言ってるんだから・・・いいんじゃないの・・・?」となりました。(そりゃそうなるよね。)

このようなことになってしまいます。

また大人になっても、また違った形で、粗末に扱われることがありますね。

上司「ニキさん!この仕事やっといてくれる?明日まで!」
ニキ「え!?(定時過ぎてるし、今日子どもの誕生日で早く帰りたいんだけど・・・でも信頼が・・・)・・・わかりました・・・」

上司「ニキさん!今日も残ってるのよ!あなたしかいない!お願いできる!?」
ニキ「え・・・(今日は昨日の埋め合わせをするって約束・・・)・・・わかりました・・・」

ということが続く。
上司は、「この部下は少々の無理に仕事を振っても大丈夫やな。」とニキの扱いをより粗末にしていくでしょう。

自分を大切にしないということは、自分の優先したい思いを我慢するということでもあります。

自分を大切にしないということは、本当に大切だと思っていることを自分にしてあげることができないということです。

自分の心のゲージを回復する前に、相手を回復させるようなものです。

これでは、いつか心が病んでしまったり、体調を崩したり、家庭が崩壊したり、人間関係が悪化したりすることは目に見えています。

また、自分に許可を出していないことを相手がすると、「なんであなたは・・・!」と感情的になったり、嫉妬したり、イライラしたりするようにもなります。

攻撃的になって他人を責めたり、ヒステリックになったり、する可能性も大いにあります。

「こうするもんでしょ!?なんであなたはしないの!?」
「やってあげているのに、なんでありがとうもないの!?」

学校ではこういった子どもたちもたくさん見られます。



他者は自己の投影。と心理学では言われます。
自分に対する思いを、相手に当てはめて見ているからです。

自分を大切にしないことで、他人とうまくやっていくことが難しくなるのは目に見えています。

自分自身がすり減っていったり、イライラして当たり散らしたり、人間関係がうまくいかなくなる、しんどくなることが容易に予想されます。

実際にそんな大人、子どもたちがこの社会にはあふれています。

自分を好きになれるように自分に心を配ることが本当に必要なんです。

お分かりいただけたでしょうか。



では、自分を愛すると何が起こるでしょうか。

自分を愛すると何が起こる?


自分を大切にすると、人に大切にされ、人を大切にするようになります。

自分を愛していない状態とは、真逆になります。

まず、自分を大切にするので、とてもいい気分ですね。

自分の在り方を大切にするので、先ほどのニキさんのような場面でも、「いや今日子どもの誕生日なので、絶対帰ります。申し訳ありません。いいパパでいたいんです。」と断れたでしょう。

上司も、「あぁ~ニキさんはそういう人か。こりゃ定時以降は仕事頼めないな。いいパパは大事だ、うん。」とその後の仕事にも影響するでしょう。

自分を大切にしているので、それを知った人は、粗末に扱わなくなります。


また、自分を大切にするということは、自分が幸せである選択をするので、常に気分がいいです。

簡単に言うと、好きな自分でいられている状態です。

自分を卑下することもなく、ありのままを受け入れているため、一緒にいる人も楽です。

人の話を聞く余裕もあります。
相手が少々感情が高ぶってしまっても、心の余裕があるので、冷静に話を聴くことができます。

つまり、自分に優しくなることで、相手に優しくなります。

人間関係がより円滑になり、いい距離感を保てるようになりますし、一緒にいる人を心地よくさせます。

自分で自分を満たしているので、相手に満たしてもらう必要がありません。
つまり、相手からの愛情を求める必要がなくなります。


子ども達の中には、友達との付き合い方が不慣れで、しつこい絡み方をしたり、過度に友達に甘えたり、ちょっかいをかけたりする子達もいます。自分にされるのは良いのかと思いきや、残念ながら、自分がされたらものすごく嫌がります。
ちょっとしたトラブルのもとになることが多いです。
承認欲求が強く、マウントをとろうとすることもしばしばあります。

そして、そういった子たちは、心が満たされていないことが傾向としてあります。

ニキチャコが見てきた中では、自己肯定感が低い子ども達が多いです。
(すべてがというわけではありません。)


他者は、自分の写し鏡。
目の前の人は、あなたの心を映し出しす投影である。

そう知った時、自分に対する思いを整えていくことで、他人との関わり方がよりソフトになり、うまくいくようになるということが理解していただけるのではないでしょうか。

自分を愛することで、自分も満たされ、あふれた愛が他者に向けられるようになれば、お互いに削り合ったり、足を引っ張り合ったりする必要はなくなります。誰かをいじめて、優越感を得る必要もなくなります。




なぜこうなってしまった?


そう思いませんか。

私たちは「自分を愛する」なんて恥ずかしい。って思ってます。

私たちはそう教えられてきたのです。

家族、先生、メディア、社会全体から得た情報によって、思い込んできました。

日本の美徳である、自己犠牲の精神は、自分を置き去りにし、他人のために尽くすというはかなくも美しい概念です。

私も、自分の身を粉にして戦うヒーローたちに憧れます。

アベンジャーズとか大好きです。素直にかっこいいと思います。

ただし、それではダメなんです。

そう「在りたい」と自身が心から望んでいるのであればいいのですが、「そうしなければならない」という義務になると、自分を大切にできていないことになります。

自分の心のゲージはどんどん減っていって、いつしか擦り切れてしまうでしょう。鬱になったり、感情的になったり、体調を崩すかもしれません。

そうやって、他人に尽くし、しんどくなっていく人がこの社会ではとても多いと感じています。

素直で、真面目で、責任感が強く、最後までやり抜き、他人に優しい人を学校教育では育てようとします。

とっても素晴らしいことですよね。「良いこと」ですよね。

しかし、長所があれば、短所もあります。

そのような人たちなら、会社やグループはうまく回っていくかもしれません。成果を効率よく出し続けるかもしれません。

しかし、自分を大切にしていなければ、結局個人でしんどくなっていく一方です。そしてそれが組織全体に広がり、むしばんでいきます。

現に教育現場では、このようなことが起きているように思います。


みなさんはどうですか?

あなたの家庭はどうですか?

あなたの会社ではどうですか?

あなたの学校ではどうですか?


学校教育の中では、「自分よりも周り。」という教えが、今でもスタンダードです。
「自分を大切に。」と言っていたとしても、結局やらされていることは、周りを大切にするための取り組みだったりします。
「迷惑かけないように!」と口酸っぱく言われましたよね。

我々教員の「育休とりたいけど、欠員が・・・」なんてまさに「自分の人生よりも周りを考えて」ですよね・・・

生きているだけで私たちは迷惑をかけています。
迷惑かけるのは当たり前で、お互い様なんです。

迷惑かけられたときに、「そういうこともあるよね。任せといて~。私の時、頼むよ~。」って言える世の中でありたいと思います。

自分を愛で満たし、その愛があふれ、周りを満たしていく。
そのような社会であれば、お互いに傷つけあったり、ののしり合ったりせず、愛が根底にある争いのない社会になると思います。

ニキチャコは、愛を奪い合う世の中ではなく、愛であふれていく世の中にしたいのです。

自分が大切にすることができれば、どんな自分も受け入れることができれば、いじめなんてなくなります。
人を蹴落とし、傷つけ、評価し、自分が上に立つ必要がなくなります。
そんなことしなくても、自分の価値を証明できますから。

つまり、私はいじめなんか「しなくてもいい」世の中を作ろうとしています。それを学校から始めようとしています。


幸いにも、他人を大切にすることは得意な日本人です。

そっくりそのまま自分に向けて、自分を大切に、愛していけばいいのです。

それを学校教育で、「公教育で」行っていきたい。

そのような取り組みをしていくことで、長い目で見て、幸せな社会を作っていくことができると考えています。



終わりに


幸せ追求教育の根底にある「自分を愛することで生まれる優しい人間関係」について、理解していただけたでしょうか。

人は不完全なので、一人では生きていけません。
逆に人は不完全なので、他人とつながることができます。

他人とのつながりが充実すると、幸せを感じますよね。

そのためにも自分とのつながりを大切にする。
それが自分を愛するということです。
そしてその結果、他人とのつながりも、より良くなっていく。
更に幸せが増えていく。

正直、良いことしかないと思っています。

もちろん、長所と短所は必ず存在します。

ですが、今の日本には、今の世界には、この考え方が必要なのではないでしょうか。

私は、そう考えています。


この理念に賛同していただけた方や、「頑張れよ!期待してるぜ!」って思ってくださった方は、ぜひスキしていってください♪

そしてこれから出していく記事も、今までに出してきた記事も、ぜひ目を通していってくだされば幸いです😌✨

幸せ追求教育の仲間が増えたら私はとてもとても嬉しいです!😄

そしてみんなで、自分を愛し、他人を愛する教育をしていきましょう。

みなさん一人一人の力で、少しずつこの世界は変わっていきます!

一緒に取り組んでいきましょう!

その前にまず、自分自身を愛さなきゃですね!

自分を大切にする方法についてはまた後日記事にしたいと思います♪

年末のお休み中なのに、貴重な時間を使ってここまで読んでくださり、ありがとうございました!

大感謝です!🙏✨


ニキチャコでした!まったね~(^o^)/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?