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私の場面緘黙疑惑。

場面緘黙(ばめんかんもく)症。それは、ある特定の場面で体が動かなくなったりしゃべれなくなったりする疾患のことです。

家では活発でよく喋るけれど、学校や幼稚園など外に出ると喋れなくなる子が多いようです。

何を隠そう、私もそんな頃がありました。

20年も前の事なので、その頃は場面緘黙症なんて誰も知らず、病院に行くという発想すらありません。
ただの引っ込み思案の人見知り、超超超内向的な大人しい子。
そういう扱いで約6年やり過ごしてきました。

大人になって児童福祉に携わり
はじめて緘黙という言葉を知りました。
私はこれだったんだ!
と、ハッとしました。

私が話せなくなったきっかけは何だったかというと、小学1年生の頃に転校したことでした。

元々幼少期は人見知りが酷かったので、「挨拶しなさい」と言われてもできなかったり、気を許した人の前でしか、自分らしく振る舞うことはできませんでした。

でも幼稚園で人に慣れ、小学校へ入学する頃にはよく話し、道端で歌を歌うのが好きな子でした(それはそれで変な子、、、。)

当時通っていた小学校の伸びやかな校風が自由人の私を受け入れてくれていたので、どんどん自分らしさを出していたような気がします。

そんなある日、父親のDVがあり母妹と夜逃げ、シェルターでの生活。
その後両親は離婚し引っ越しをして、転校しました。

一気に環境が変わり、人の雰囲気が違いました。

知らない人だらけ、私は受け入れられていない。
私は声が出せなくなりました。

はじめは緊張から話せなかったけれど
この子は話さない子というみんなのイメージを変えてはいけないような気がしていました。

少し話すと、「あ、しゃべった!」と言われるのも嫌でした。

そうして話さない長い長い6年間が始まったのです。

嫌われたりいじめられたりすることはあまりありませんでしたが、かなり変な子ではあったと思います。

友達というよりは私のお世話をしてくれるような、代弁してくれるようなクラスメイトに助けられていました。
学級カーストという言葉が最近はありますが、私はそのカーストの三角形の外に出ていました。いじめを受けるような対象ですらない。という感覚。

なので対等な友達というのは中学に入って喋れるようになるまではできませんでした。

はじめは教科書の音読もできず怒鳴られることもありました。
そこからだんだん、決められた言葉は言えるようになりました。
当時の先生は厳しかったけれど、できない私をクラスメイトたちは少しずつ受け入れいてくれていたおかげで、おしゃべりができず、自分らしくふるまえなくとも、困ることは減っていきました。

そして私が完全に話せるようになったきっかけは何だっただろう。
思い返してみました。

まずは小6の時です。修学旅行の班決めで、学級カースト最上級グループに誘われて入ることがありました。

学級カースト最下層にすら在籍できていない私はよく言えばクラスのマスコットキャラのような存在でしたので、クラスの優しいキラキラ女子達は私とのかかわりを楽しみ始めました。

そんな権力がある人たちがいると、喋ってもバカにされないだろうという空気になっていきました。
それどころか一目置かれるような、周りの私を見る目が変わってきたのです。

そこから少しずつ話せるようになりました。
はじめは仲の良い人たちの間だけで、自分から何かを話すことはなく、応えることに徹していました。

中学に入学すると、小学校で話せるようになった子と同じ部活に入りました。
クラスではあまり話せなかったけれど部活の中では先輩含め、話していました。
挨拶やら何やら喋らないとやっていけないので(笑)

緘黙が和らいできて、中2になると、親友ができました。

笑いのツボがしっくりぴったりくる人に初めて出会って毎日がすごく楽しかった。
その親友の明るさに引っ張られて、自発的に話すことが増えていきました。
そのころのことを今思い出すと周りもだんだん他人への興味が薄くなってくる年代なのか、私が急にしゃべりだしてもみんな何も気に留めずというか言わないでくれていたのか、普通に話をしてくれていました。
当時の同級生にはすごく感謝しています。

さらに中2病でアニメにハマり、中3になるころには
友達と毎日アニメについてマシンガントークで語るようになっていきました。完全に完治です。

今でもコミュ障で、何と言っていいか頭がフリーズしたり
仕事で○○さんに伝言しなきゃと意気込んで必死で伝えたり
お店で店員さんに声をかけられないことがあったりはします。
私にとって発声することは、バンジージャンプを飛ぶのと同じです。

小学校の頃はすごく高いバンジーだったけど、今は、そこまで高くない高さになっていることと、何度も飛んで慣れてきたところもある。という感覚。

せーの!と意気込んで声を出さないといけない日々が続いていますが
完全に声が出せなくなることはなくなりました。

きっと今悩んでいる人たちも、周りが大人になり、他人に興味がなくなった時に、心が軽くなる瞬間があると思います。

周りが自分に興味がなくなるとき、それから、自分が他人の目を気にしすぎなくなったとき。
その時がきっと誰にでも来ると思います。

いま無理に話そうとしなくても、自然と声が出る日がやってきます。

そして周りは意外と暖かくて受け入れてくれます。
意外と誰も私に興味がなくて
しゃべろうがしゃべらなかろうが
どうでもいいと思っています。

自分を出せない自分もまた、自分らしさです。
そのままで大丈夫。
いつか、いやでも図々しくなってしまう時が来るのです。

今は将来図々しいおばさんになるのが少し怖いなと思っています。

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