「ワタシってサバサバしてるから」と「スカッとジャパン」について思う事

「ワタシってサバサバしてるから」という漫画と
「スカッとジャパン」というテレビ番組の話題を
度々ネットで目にする。

両者に共通するのは、
自分勝手な人間が失敗し恥をかく場面を
コンテンツの売りとしている所である。

「ワタシってサバサバしてるから」については、
ついに実写ドラマ化が決定したそうだ。

怒りを煽る悪役を出し、それを打ち倒すというのは、
創作におけるテクニックの一つだし、
私自身、創作でも、現実の体験談でも、そういう話を読むのは好きだ。

しかし、こういった娯楽が過剰に求められる状況は、
正直あまり健全とは言えない気がする。

問題は主に
・現実をモデルにしているという前提がある点
(「ワタシってサバサバしてるから」の方は、さすがに特定の個人の話ではないと思うが)
・人の失敗や恥を作品の一要素ではなく、メインのコンテンツにしている点
にあると思う。


「モナリザ・スマイル」


比較対象として、「モナリザ・スマイル」という作品を挙げてみたい。

大まかに説明すれば、
とある名門大学に赴任した美術教師と
女子生徒たちの交流の物語である。

そこに登場するキルステンダンスト演じるベティは、
自分の自信の無さを、
婚約者の肩書や、他人を傷つける事で補おうとする所謂糞野郎で、
他人に不幸をまき散らすために、まさに縦横無尽の活躍をする。

しかし、全方位隙がないかのように思えた彼女のクズっぷりには、
やはりお決まりのしっぺ返しが待っている。

彼女の自慢の婚約者は、女性としての彼女に興味を示さず、
あろう事か不倫をしていたのだ。

それを知った彼女は怒りと悔しさに狂い、
また誰かに当たり散らかそうとする。

そして、その相手として、
生徒たちの中でも遊び人として知られる、
マギーギレンホール演じるジゼルに狙いを定める。

皆が雑談している寮に飛び込んでいったベティは、
ジゼルを罵倒し始める。

ジゼルの既婚者との不倫の話を持ち出し、
いかに彼女が不倫相手に都合よく扱われ、実は愛されていないか、
相手を傷つける言葉をぶつけまくる。

ジゼルは大人な態度で受け流そうとするが、
相手にされない事にブチキレたベティは、
ついには泣き叫び出す。

「自分を嫌ってる人間を必死で追いかけるなんて、拷問みたい!
彼はあんたを嫌ってる!!!!」

ここからが私がこの作品の中で、
好きな部分なのだが、
ベティの前に立ったジゼルは、相手を引っぱたく代わりにベティを無理やり抱きすくめる。

そうすると、ようやくベティはその場に泣き崩れて、落ち着きを取り戻す。

直接説明するセリフが無くても、
ベティが何を抱えて生きてきたのか、
ジゼルが何を考えながら生きて来たのか、
というのが伝わる良いシーンだと思う。

ちょっと映画の全体像を知らない人にはなんのこっちゃわからんかもしれんが、
ベティは無茶苦茶いいとこのお嬢様で色々型にはめられて生きて来たタイプなのに対し、
ジゼルは複雑な家庭の事情故に他の生徒達より大人びているけど、
何に対しても斜に構える癖がついていて、
人や物事と正面から向き合うのが苦手なタイプだった。

お互い違うタイプだったからこそ、
お互いにしか見えてな愛おしい部分や、
むかついて許せない部分があったという事だと思う。


物語を楽しむ事の価値


もし、上で紹介した「モナリザ・スマイル」を
「スカッとジャパン」のエピソードや、
2ちゃんねるの実体験として書いたらどうなるだろう。

おそらく同級生の視点で、
高飛車で嫌な女が婚約者に裏切られ、絶望し、恥をかいて、
他の皆はスッキリした、という単純な話になってしまうだろう。

これが実体験で、自分が当事者であれば、それで良いと思う。

自分の身を守る事が最優先だし、
何か被害があれば容赦なく償わせるべきだ。

どうしても他人と迷惑をかける事を止められないような人間とは、
そもそも距離をおく判断が必要な場合もあるだろう。

しかし、物語として、作品として何かを作る時、
嫌な奴が恥をかく、という部分だけに焦点があてられ、喜ばれるというのは、
良い悪いではなく、もったいないし、
人の心を貧しくしてしまうと思う。

誰だって自分の理想と現実がすり合わせられず、
自信過剰になる時期や、
ある事柄について同世代の人より幼稚な考えを持っている部分はある。

今日自分のしでかした失敗や悪事によって、
致命的な恥をかいた誰か、絶望した誰かにも、
明日があって、その先の人生がある。

彼らに寄り添う必要や、やった事を許してあげる必要はないが、
その人なりの心や人生を想像する事は、
彼らではなくあなた自身の人生を豊かにしてくれると思う。







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