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シクラメンと赤飯

私はシクラメン番長である。そして私はシクラメン番長1号だ。

新型コロナウイルスがニュースに取り上げられ始めた一昨年の暮れ、私が働く介護施設の入所者さんの奥さんからシクラメンを頂いた。
「シクラメン農家から買ってきたのよ、たまには花でも飾ってみて」とシクラメンを渡された。
大ぶりの葉っぱがワサッと広がりピンクの花が控えめに下を向き咲き揃う、何とも可憐でかわいらしい鉢であった。
当初、施設玄関ロビーの一番目立つ所に置いたのだが、一日中暖かいロビーは居心地が悪かったと見えて、シクラメンはあっという間にのぼせ上がり、グッタリして花だけががどんどん落ちた。
ついに花がすべて落ち、てっぺんハゲ状態になったシクラメンを同僚であり、シクラメン番長2号のクミちゃんと見つめる。
お互い眉間にシワをよせ、シクラメンの場所について考える。
シクラメンは涼しくて良く日の当たる場所が適しているという。シクラメンの悩ましい体質により私たちの眉間のシワはより一層深くなった。

クミちゃんの提案で比較的涼しい玄関下駄箱の隅っこに移すことにした。正解か否か。
シクラメンをくれたMさんには、隠すことなく謝罪したが、てっぺんハゲとは傑作だわとゲラゲラ笑ってくれたのが救いだった。

それからというもの私とクミちゃんはせっせと世話をした。他の同僚も非公認ながらシクラメン番長1号、2号の取り組みを見守り、シクラメンがしんなり肩を落としている所を発見しては「にこちゃん、シクラメンが呼んでいます。クミちゃん、土が乾いてるみたい。」と報告してくれた。
気づいたら勝手にやってくれてもかまわないのにと思いながらも、あら大変と度々仕事を中断する。

手厚い世話が実を結び、2ヶ月後にはシクラメンのてっぺんハゲはキレイに治り、見事によみがえった。しかし、春の足音が聞こえ、シクラメンの季節もうつろう温かい風を感じる日もポツポツと現れはじめるまで季節が過ぎていた。
シクラメンの夏越えは難しい。きっと枯れてしまうだろうと予想をしていたが、春になり夏が過ぎ、秋になってもシクラメンは細々と葉っぱを出し続ける。このまま季節が一周してしまいそうな、枯れない予感がよぎる。時々水をあげながらも半信半疑は続いた。
定期的に施設にやって来るMさんは枯れないね、まだ枯れないねと、ことある毎に感心してくれた。
そして、とうとう、とうとう2度目の冬が来て、ついに年が明けた。

葉っぱを育て続ける夏越えは花付きが遅れるという。その情報通り、立派に葉っぱは育つが蕾は一向に顔を見せてくれない。

ある日、いつものようにシクラメンの世話をしていると、洗濯物の交換でやって来たMさんから「葉っぱは見事よね、花は咲かないのかしら?」と声をかけられた。葉を付けたまま夏を越えたシクラメンの特徴を伝えると「良く勉強してるわね。こりゃ、花が咲いたら赤飯炊かなくちゃね」と私の肩を軽快にポンポンと優しく叩き、私の中ではソワッとする心地よさを覚えた。

Mさんは80代、ご主人は不慮の事故で重い障害を持ち、長年施設生活を送っている。辛い日々も経験し、紆余曲折ありながらも生きてきた。いつだったか、まだ付き合いの浅い私にこの施設にご主人が入所するまでの話を話してくれたことがあった。
私の仕事は様々なバッググラウンドを持った人たちと接する仕事だが、Mさんの人生は計り知れない悲しみと葛藤の中で過ぎてきたことが短い立ち話でも十分伝わった。Mさんの人生とシクラメンに接点はないものの、このピンクのシクラメンが再び蕾を持つことはMさんにとって人生の心地よい部分を刺激するのではないかと勝手に考えてしまった。

関東地方に雪が積もり、その雪もすっかり消えた日曜日の朝のことである。
こんもりした葉っぱの間から、少しだけすプックリしたもの、控えめに、まだ真っ白なシクラメンのつぼみたちが顔を出しはじめた。硬く寒さに耐える姿は弱々しくも見えるが、生きた先にある見事な変身にも見えた。クミちゃんに報告すると、いつもクールな彼女が飛び上がるほど喜び、「赤飯ですね」と鼻の下が伸びた。
実はMさんにはまだ伝えていない。
真っ先に伝えたいが、不思議に今はもう少し、この真新しい白を静かに眺めていたい気持ちなのだ。っと気持ちはセンチメンタルだが、赤飯の湯気で頬が膨れる夢を見ている。

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