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【ニュージーランド】 お家事情と貧富の差

家の値上がりがとんでもないことに

この5年間で オークランドの我が家の価値が70パーセント上がった。

さらに言うと、21年前は円が強くて 今のより2倍の価値があったので
そこそこの円の貯金で 普通に家が買えた。

相対的にニュージーランドドルの価値が上がったことと、土地と家の価格の上昇で 日本円に換算すると この20年間で10倍以上になった。

私も夫も 投資には全く興味がなく、むしろそういうことに時間を費やすのは時間の無駄だと思っていた。好きなことした方が人生楽しいでしょと。
しかし、この状況を見ると ニュージーランドで不動産投資をする人たちの気持はわかる。儲かるから。

資産の行方
私も還暦に近くなり、ごくわずかの資産の行方を心配する年齢になってきた。調べてみると、ニュージーランドでは相続税、贈与税、不動産売買に税金がかからない。

わずかの資産でも 息子たちに効率よく、、と考える老婆心は不要だった。
シンプル。そのまま残せるし、そのまま譲れる。
ああ、良かった!で終わるのでは情けないので、そのことについて少し考えてみると、

ニュージーランドの貧富の差
ははん、そういうわけで貧富の差は昔から延々と続いていたわけか。
多分 ワイタンギ条約の頃からか、
いやもっと前の ヨーロッパ人が移住してきた17世紀にさかのぼるだろうか。

とにかく、 この国は明らかに貧富の差が激しい。
と、感じるのは 私自身が日本とニュージーランドしか知らないからかもしれない。
それも 日本では大都市に住んでいなかったので、貧富の差を感じるような場面に出くわすことはまれにしかなかった。
上野駅の浮浪者や札幌大通り公園のホームレスなど。
だから いろんな国を経験している人は、貧富の差が激しいのはニュージーランドだけじゃないよと言うかもしれない。

窓ふき物乞い
私が 最も感傷的に貧富の差を感じるのは
交差点での車の窓ふきで小銭を求める人。

大通りの交差点では信号待ちの時間があり、その間に手持ちのワイパーと洗剤を入れたペットボトルを持って、車のフロントガラスを拭く。
法的に禁止になってからは その行為に対して小銭を渡す人は少なくなったが。
車の窓拭きをするほとんどはマオリ族、太平洋諸島からの移民。もちろんヨーロッパ系の容姿の人も中にはいる。

たまに 小銭または5ドル札や10ドル札を渡す人がいる。
意外にも それはフロントガラスを拭いている人と同じ、褐色系の人だった。

お金を恵んでいるのでは’なくて応援している、そんな風だった。

$10を渡してみて
私は一度だけ、思い切って$10(900円くらい)渡したことがある。
こんなことしていないで、きちんとした身なりをして仕事が見つかるように、その足しになったらと思ったからだ。
その思いを込めて、渡した。

が、数週間後に同じ交差点で同じ人が窓ふきをしているのを見た。
ああ、やっぱりダメなんだ、とガッカリしたのは言うまでもない。

変らない。
働いてお金を得ることが難しい社会の中で育ち 生活していると、
そこから抜け出すのは よほどの苦労を要する。
と言うか、不可能に近い。変えられない。

そういった社会格差は、延々と脈脈と受け継がれているこのニュージーランド。

持てるものが持ち続ける
贈与税、相続税、不動産売買に対する税金がないということは、持てるものが持ち続けるという社会構造を維持している。親が資産を持っていれば、その子孫は 特別な間違いを犯さない限り 未来永劫!? その資産の恩恵にあずかれる。

クリーングリーンなイメージ、日本ほどではないにしても社会保障が整った国(私の感覚として)。
そんな観光客向けのイメージではない現実は オークランドダウンタウンで増えているホームレスを見るとよくわかる。

*内容に間違いや不備な点があるかもしれません。指摘していただければ幸いです。




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