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地域屈指の進学校出身のFラン大学生は、就活に失敗した。

こんにちは。人間生活ゼミナールです。今回は、私の就活について一人語りさせてください。

1. 就活に関する近況報告と考察

私は22卒の就活生なのですが、はっきり申し上げて、就活詰みました・・・。受験した民間企業は、全てESで落ちてしまいました。
すごいですよね、22歳の人間は22年の歴史を持っているわけですが、企業側は、その企業にとってその人間が必要かどうかを紙切れ1枚でスグに判断するわけですからね・・・22年の歴史って軽いもんです。紙切れ1枚で何が分かるんでしょうね。1を聞いて10を知ることができる、超能力者なんでしょうね。すごいなぁ。もちろん、人間の本質の欠片は、紙切れ1枚でも多少は分かるのかもしれませんが。

まぁFラン大学なので仕方ないですよね。誰がFラン大学の人材を欲しいと思うのか。まして、私の学内での成績は相当良いものであると自負しており、それが就活の武器になると思っていましたが、それも全く、箸にも棒にも引っかかりませんでした。「地域屈指の名の通った進学校から落ちて落ちて落ちまくったやつは、自分よりレベルの低い大学に進学してるんだから、良い成績を取れて当然だろ、なめてんのか」、とでもお思いなのでしょう。


大学に入学した当初は、「大学で頑張れば、なんとかそこそこの企業に就職できる」と信じていました。だからこそ、大学で精一杯勉強に励み、取れそうな資格試験や学内の学術系イベントには積極的に挑戦しました。そして、そのことをESにおける「ガクチカ」にしました。けれども、ESが通らなかった以上、何一つ就活に有利に働く要素はなかったということが分かりました。大学で頑張ったところで、何も意味はない、ということなのでしょう。「諦めたらそこで試合終了ですよ」という名言がありますが、就活においては、「有名大学に入れなかったら、そこで人生終了ですよ」ということなのでしょう。

ESの書き方・送り方について、無礼があったり、ルールを守らなかったりしたわけではありません。提出期限だけでなく、企業側が提示する要件、一般常識(封筒に入れる書類の向き、ESをクリアファイルに入れることなど)を守って提出しました。だからこそ、私のESが一回も通らなかった理由には、①ESの内容・②学歴の低さ・③顔の印象等が挙げられるのだと考えています。

①ESの内容

先ほど述べたような、いかにも「大学受験に失敗したから、大学で頑張りました!」的なガクチカは、ダメなようです。もちろん、学会で賞をもらっただとか、ナントカコンクールで優勝したとか、ゼミ大会で優勝したとか、そういったガクチカであれば評価されたのだと思います。私のガクチカの大きな欠点は、全てが単独作業であったというところにあると思っています。

最近の企業は、就活生の協調性やチームワークを見ていると言われているからこそ、ゼミやサークル、委員会や部活といった集団で活動した実績がない人間は、そもそもES段階で不採用なのだろうと悟りました。

私は、これまでの記事にも書いたように、高校時代の陰湿な、生徒・教員からのいやがらせをきっかけに、強い人間不信になってしまいました。それでも、大学入学当初は、なんとか人と上手く接しようと努力はしたものの、講義中に邪魔をされたり、講義ノートを盗み見してパクったりされたりしたこと、つまりは「利用された」ことをきっかけに、やはりダメだと、大学の同期とも接触機会を断ちました。その結果、大学でも語学のクラスメイトからわかりやすい嫌がらせをされるに至り、ますます強い人間不信になってしまいました。それゆえに、私は大学で人とつるむこと、すなわち、サークルや部活に入ることを避けました。「どうか邪魔をしないでくれ。一人で好きなことをさせてくれ。」ということが、私の願いでした。

こんな私だから、サークル・部活に所属していないから、企業側は人間として欠陥があるだとか、コミュ障だとか、独りよがりだとか、自分勝手・自己本位な人間だとか認定して、ES段階で私を不採用とするのでしょう。

②学歴の低さ

これは一目瞭然ですよね。

有名進学高から、Fラン大学に進学した人だなんて、どう考えても訳ありでしょう。企業は、教員からよっぽど嫌われていた、高校で落ちこぼれた、特待生をとるためにわざと落ちたなど、様々(勝手に)理由を考えるでしょう。少なくとも「高校で落ちこぼれた」は否定したいものです・・・私は高校内で成績上位15-20%以内に入っていて・・・しかも、科目別で見れば学年1位もとったことがあるわけですから・・・。

最近は、人事の方は、就活生の出身高校までもを見ていると言われています。そうだとするならば、超有名大の高校同期は「高校の時から優秀なのね!さすが!」と言われ、Fラン大の私は「あんた、手を抜いたの?それとも、高校には裏口で入学したの?」と言われることでしょう。
出身大学にふさわしくない高校出身であること自体がハンデなのではないか、と思うようになりました。

③顔の印象

私は、美形ではありません。顔採用をしている企業だったとしたら、即落ちるレベルです。就活に向けて整形しようかなとも考えましたが、少なくとも日常生活レベルではそこまで自分の顔に不満を抱いていないので、やめました。



2. 「ES落ち」を踏まえて推測したこと

受けた民間企業を全てESで落とされてみて思ったこと、それは、今の企業は、「チームワークを円滑に行うことができ、協調性がある、自分たちに逆らわない、自分たちを脅かさない、企業にとって都合の良い従順な人」を求めているのではないかということです。

企業の人事課の方に対して、皮肉を書いているわけではありませんので、どうか悪しからず。

このような人物は、まるでESから導き出される私とは正反対です(私は落ちたからこそ、正反対の人物であれば採用されると想像します)。ES上、私には協調性がありません。ES上、私は物事に矛盾や問題点が生じれば、そこを取り出し、直そうとします。決して、「YESマン」ではありません。企業の方は、そんな私とは一緒に働きたいとは思わないでしょう。

よく「私たちと一緒に働きましょう!」とか、「私たちは、一緒に働く仲間を求めています!」といった求人の謳い文句を見かけます。この言葉からも、企業が自分が一緒に働いてもいいと思えるやつを採用したいと思っていることは、一目瞭然であると思います。

私が、一緒に働いてもいいと思えるような人間ではないということなんて、ずっと昔から分かっています。私は、友達ができたことがないですし、高校受験のあたりから「お前だけは、絶対に嫌だ。友達になりたくない。」と言われ続け、今に至ります。
採用活動も、ある意味で、「働く仲間」を探す=友達作りの活動であると見ることが出来ると思っています。だとすれば、私は「企業」に嫌われて当然でしょう。

結局、今まで友達ができたことがない私は、今後企業に採用されることも無いのでしょう。何せ、組織に所属できない欠陥人間ということなのですから……。


3. 今後の展望

落ちまくった私は、「まだ受けたとこしか落ちてないわけだし、他にもまだあるでしょ」と思い、某就活サイトである程度の条件(この条件は、キャリセンの方によれば、全くもって高望みしているものでは無いそうです)に基づき、エントリー可能な企業を探しました。しかし、私が受験を望む企業・職種のほぼ全てが、エントリーを終了していたり、募集人数に達していて募集終了になっていたりしていました。

エントリー可能な企業も、多く存在していたので、手当り次第見てみました(最大限視野は広げているつもりです)。しかし、私が望む条件をひとつも満たしていなければ、就労条件も一般より悪く、地方の高卒以下の基本給を提示している会社ばかりしか見つからず(キャリセンの方によれば、それはやめたほうがいいとのことでした)、途方に暮れました。
あまり細かいことは書けませんが、「みんなが出来ないことは、私にも出来ないことである」ということで、今からエントリーしようと思える企業とは出会えませんでした。


この記事を書いている今は、もうどこもエントリーしようと思えません。
第一に、他の就活生よりも圧倒的に低いレベルの希望条件なのに、それをひとつも満たさない企業が多いからです。第二に、これまでに不採用通知を郵送で送ってきた企業の中で、たった一社ではありますが、一般社会人がやったら絶対に死ぬほど怒られるような非常識な作法をとってきた企業があり、そのことが私を深く傷つけたからです。別に深く考えなくてもいいことだとは思っていたのですが、親も激怒するような案件だったので、一気に企業全般に対して不信感を抱くようになってしまいました。
学生は一般常識を守らないといけないのに、企業は守らなくてもいいだなんて、社会構造がどうかしちゃってますよね。どっちが偉いなんてないはずで、本当はお互いに礼を尽くすべきだと思っています。

そういうわけで、私の就活に対するモチベーションは、だだ下がりになってしまいました。これまでのインターンシップでも、企業から私に対してだけ非常識な態度(無視や否定など)を取られてしょげてしまったことは何回もありましたが、その時は「受かるかもしれないから何とか頑張る」という微かな希望があったから、なんとかなりました。しかし、今回は、不採用が確定したわけで、もうどうにも可能性などありません。希望など、無いのです。だから、立ち直れそうにないのです。

これは甘えだ、と自分を強く責めつつも、今現在からでは、信頼して働けるような企業に出会えないという現実問題に直面していて、もう頭がどうにかなってしまいそうです。

これからどう生きていけばいいのか、もう人生終わったと、毎日毎日頭を悩ませては、泣いて、自己否定を繰り返しています。他者からは、嫌な条件の会社でも3年は我慢して働くことを勧められましたが、それももう出来そうにありません。メンタルが追いつきません。これからでも受験可能な公務員試験も、勉強を全くしていないのだから、受かるはずがありません。両親は、フリーターでもいいよと言ってくれました。しかし、23にもなって四大卒で就職失敗→フリーターだなんて、ますます社会に居場所がなくなってしまいますし、依然として親の脛をかじることに罪悪感を強く感じます。それならば本当に、私なんて生きていない方がいいと思います。

理性と感情がバラバラの方向へと向かっていってしまっているように感じます。
就職はしなきゃいけない、けれど希望に合う会社は全て落ちたorエントリーが終わっている、就職するなら自分が嫌な条件を呑まなきゃいけない……。

よく「就活で学生は大人になる」と言いますが、それは、社会にとって都合のいい人間になることを表しているのだと思いました。私はまだ、「社会にとって都合のいい人間」になれそうにありません。

私は、自分に甘いのです。許容範囲が狭いのです。みんながやりたくない事を進んで引き受けられるほど、心が広くないのです。Fラン大学なのだからこそ、有名大の人が選ばない仕事をお零れとして頂くしかないのだと分かってはいます……これが社会構造であるからです。

もうこんな自分に嫌気がさしてきました。そもそも、仕事を通じて自己実現などできない、私がやりたいことはビジネスの世界にはないなどと考えている時点で、人として終わってますよね。
私にとって「就職して働くこと」とは、ただの、働いている自分の姿に対する、人並みのことをしている自分への自己満足に過ぎません。何せ、給与も非正規雇用並に低く、休みもなく、福利厚生も悪い訳ですから……もはや「ボランティア」と割り切った方が、色々と吹っ切れそうなのです。


ちなみに大学院進学という道は、ブラック企業に就職するのと同じくらい怖いので、選べません。
勉強・研究をしたい、論文を書きたいという熱意はあります。しかし、大学院での人間関係や、あまりにも酷い内容の・勉強不足な批判をしてくる同期の存在、『意味ないよ』と私の多くを否定してくる教員(同分野)の存在、院進は就活の時期を伸ばすだけ(辛い時期を伸ばすだけ)であるということ、学費支払いへの自信が無いこと、その学問界隈に対して強い不信感があること(学術界の方が、一般企業よりも「組織」の世界であると思います)を考えると、無理矢理にでも就職する方がメリットが大きいように思います。自分がやりたいことなんて、お金を稼ぐこと以上に優先すべきではないと考えているという理由もあります。

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これが本当の「お先真っ暗」ってやつですね。将来を想像するたびに、これからどんな辛いことが続くんだろうと胸が苦しくなります。

だからなのか、これまでがとても幸せだったのだと思うようになりました。
出来ることなら幼少期に戻りたいと思ってしまうのは、脳が、もうあのころ以上に幸せだった時代は、やってこないと悟っているからなのでしょうか。


私は後悔しています。
高校のとき、生徒に対して暴力を振るったり、人格を蹂躙したりして、傷つけて思い悩ませて不登校にさせたり、提出物等を盗んで成績を下げたりして蹴落としてでも、第1志望で受けた大学の指定校推薦を目指すべきだった。みんなに対して嘘をつくべきだった。

人として、してはいけないことを平然とできる人になりたかった。
そうしていたら、こんな悩みなんて抱えなかっただろう。人生は、もっと華やかであったであろう。

私を踏み潰していった高校同期たちは、みんな輝かしい未来を手に入れた。彼らのシアワセは、私の、人としての「死」の上に成り立っている。

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