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「楽しい」の源泉

小さい頃から、母は私に何かあげるという名目で、自分に何か買っていた。ミニチュアの台所キット。おまけのフィギュア。私より、母の方が愛着を持っていた。

記憶にこびりついてるのは、おまけのフィギュアだ。

逆上がりをしようとしてるフィギュアで、『できることが楽しいんじゃなくてねえ、できるようになることが楽しいんじゃないかなあ』との言葉が添えてあるのだ。

逆上がり、できるようになればきっと楽しい!と思いながら、いまになっても私はできないまま。フィギュアの気持ちはわからないまま。

だけど、その言葉がこびりついて離れない。

何にでも挑戦したくなるのは、できるようになったときの喜びが楽しさの源泉だから。

できなくても、できるようになるかも!って思いながらやることが楽しいから。

昨日できなかったこと、今日やってみればできるようになるかもしれない。楽しいことが目の前にあるのかもしれない。そう思うと、先を急ぐように目の前のことに飛びついてしまう。


私は、いまこの一瞬が楽しければそれでいい。

ずっと楽しさに溢れる生活を送りたい。

何かができるようになることは、私にとって「楽しい」なのだ。

挑戦し続けなければ、楽しさを得られない。頭の中にあるやりたいこと、やってみたいことを現実にやるのは、手っ取り早い。

そのやりたいことの先にあるやりたいの本質や、やらなきゃいけないことを見つけるのはその分手間がかかるし、成し遂げるにもさらにキツさが伴う。

一度、できないと突きつけられたものに何度も挑むことも、しんどい。次にできるかもしれないものに挑戦する方が楽だ。

私は、楽をして、いまこの一瞬の楽しさのためにできる最適を選んでいるのだ。

就職活動をしていて、私は何も望みがなかった。

終盤になればきっと、第一希望といえる企業が見つかると思っていた。
願望といえば、私に案外社会人も楽しめるんじゃないかと思わせてくださったある企業の方とお仕事をしたいと思ってることくらい。

6月を目前にして、周囲は大学のレベルにあったそれなりの企業を第一希望に挙げていく中、私には就職することに興味が持てなかった。

就職活動時の思いや条件が
・奨学金早期返済
・自立して食べていけるだけの給与
・私の個性も尊重して採用してほしい(私は労働力じゃない、人間だ)
・周囲になりたくない大人像がいない会社

こんな感じで、最悪見つからなかったら、夢を前倒しして進めていこうと思っていた。
(最終的には、なんとか見つけることができ、内定まで進むことができました)

でも、最初からこの企業最高!入社したい!って気持ちではなくて、
手持ちの内定の企業から、6月には就職先を決定するという目標に沿って、選んだだけなんです。

私は、選ぶことは簡単にできても、本質的にしたいこと・潜在的な望みに耳を傾けることが得意ではありません。

だからこそ、人より遠回りするし、どこに進んで良いかも分からないので、闇雲に進むしかないと思っちゃうんです。

進んでるあいだは、なにもしてない状態から抜けれるので、ただ闇雲に進んでる状態がただただ続いてるんじゃないかな。

生き急いでるって見られてるの、実はからっぽな自分が怖くて、
もがいて、もがいてるだけなんじゃないかな。

以上、「生き急いでる」と言われたので向き合ってみるでした。
たどりついてくださり、読んでくださり、ありがとうございました。

一旦おわり。


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