峰松仁奈

Nina Minematsu|

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マガジン

  • 「生き急いでる」と言われたので向き合ってみる

    教授に「あなたは生き急いでるようにみえる」と言われたので、生き急ぐことやなぜそんな風に見えたのかについて向き合ってみる。

最近の記事

知らない土地で暮らす

私は、ひとり旅ですら、知らない土地にいくのをためらうことはほとんどない。 知らない風景、人のもつ文化に触れることができると思うとわくわくする。 その土地が持つ空気感に触れると心が躍る。 旅でネガティブになることはほとんどないのだ。 だが、就職する企業から、勤務地が示達され、私はポジティブな感情になれなかった。 1度しか訪れたことのない土地、友人なんておらず、勝手知った同期も少ない。 配属された部署に同期が少ないこともあるのかもしれないが、初めてどこかへ行くことに悲観的

    • 何でもない日の防災

      「防災の日」「1.17(阪神淡路大震災)」「3.11(東日本大震災)」 日本にとって大きな災害や節目の日に、災害に対して深く考える機会はそう少なくないと思います。 しかし、災害は何でもない日に発生してしまいます。 だからこそ、その災害から学び、いつ起こるかわからない災害への備えである防災も、何でもない日に考えてみてはどうでしょうか。 ローリングストック防災について学び始めたとき、地域の災害に対する耐性や、家の耐震性、災害が発生して避難所生活となったときの自治体の取り組み

      • 後輩がいるということ

        先輩はいつかいなくなる。 大学卒業を目前にして、2年ほど続けてきたアルバイトで、後継者の育成に力を入れることになった。 アルバイト先にはフリーターがいない。つまり、バイトはほぼ学生ということだ。(ほぼというのは、どこかの企業に勤めながら副業として働く人がいるから) ほとんどの人が4年以内に辞める。少ない人数でシフトを回しているが、それでも毎年のように誰かが卒業する。 初めてのバイトで、泣きたくなる日も逃げ出したいときもたくさんあった。 1年が過ぎた春。 卒業した同期だ

        • 明日が来るのが怖くて布団にくるまってた。

          高校2年生の冬、自分の誕生日に、私は教室に行くのが億劫になりました。 教室で笑って過ごすために、いろいろもがきました。 髪を切って気持ちを切り替えようとしたり、考え方を変えるためにいろんな本を読んだり、ただひたすら勉強に打ち込んだり、、 当時、クラスには鬱病寸前の子がいました。 クラスには、いろんな人の陰口が充満していました。 「いじり」と「いじめ」の差が当時の私には理解できませんでした。 私には、頑張っている人に向けて、「いじっている」行為が 見えない・口には出さな

        知らない土地で暮らす

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        • 「生き急いでる」と言われたので向き合ってみる
          3本

        記事

          神戸に想う

          2020年1月17日。 神戸のまちは阪神淡路大震災から25回目の1.17を迎えた。 地震の発生は、寒い冬の早朝。 多くの建物が崩壊し、大火災が発生し、人々の生活を大きく変えた。 大学入学とともに関西に移り住んだ私には 震災の記憶や記録にゆかりがない。 防災の専門機関を有する大学に入学したため 一般教養として阪神淡路大震災や防災・減災について学んできた。 学生のほとんどが震災後に生まれ育ったことに 登壇している講師らは感慨深そうに語っていた。 講義室の大画面で、震災

          神戸に想う

          就活のはなし

          部屋の整理をしていたら、1年前の手帳を見つけました。 何してたのかなと開くと、面接やセミナーの予定がぎっしり。1年前、私は就活をしていました。 私は2020年卒なので、まだ経団連関連の縛りもあったのですが、それでも就活をしていたのは5月末まで。本格的に就活しよう!と意気込んだのはちょうど1年前の1月中頃なので、5ヶ月くらいやってました。 ・自己分析をする「あなたが『一番輝く』仕事を見つける 最強の自己分析」を使ってました。 あとは、大学の図書館にあったマイナビの自己分

          就活のはなし

          あなたの「すき」を大切にする

          入院中の父が外泊禁止になった。 年末年始に、親戚の家を回らなくてはならないこの時期に。年に数日しか顔を合わせない家族が集まれるこの時期に。 理由を問うと、「肩を骨折した」らしい。 パーキンソン病の悪化とかではなく、バイクに乗ってて骨折したと。 父はこれまで何回も骨折しているし、友人をバイクで亡くしてる。 それでもバイクが好きらしい。 そして、母は注意こそするものの止めることはない。 いつかどこかで亡くなるのは怖いから、GPS付けようかと相談してくることはあるが、バイク

          あなたの「すき」を大切にする

          父も知らない母の秘密

          こんばんは。峰松です。 最近、母の秘密を知りました。「F1が大好き」らしいのです。 カミングアウトのきっかけは、私から父への気遣いでした。 父は自動車整備士で、私が小さい頃から鈴鹿でのレースをビデオで見ていました。だから、F1は大好きだろうと思い、鈴鹿でのF1を観戦することを提案しました。 前述の記事のように父はパーキンソン病で入院中。 さらに、体調も不安定。 父は鈴鹿に行かない決断をしました。 ならば、 母娘の詳しくない2人では楽しくないだろうと思っていたのに、

          父も知らない母の秘密

          「楽しい」の源泉

          小さい頃から、母は私に何かあげるという名目で、自分に何か買っていた。ミニチュアの台所キット。おまけのフィギュア。私より、母の方が愛着を持っていた。 記憶にこびりついてるのは、おまけのフィギュアだ。 逆上がりをしようとしてるフィギュアで、『できることが楽しいんじゃなくてねえ、できるようになることが楽しいんじゃないかなあ』との言葉が添えてあるのだ。 逆上がり、できるようになればきっと楽しい!と思いながら、いまになっても私はできないまま。フィギュアの気持ちはわからないまま。

          「楽しい」の源泉

          ブルーオーシャンの賞味期限

          ブルー・オーシャン戦略とは 競合のいない、もしくは少ない新しい市場で、未知なる可能性を秘めている市場を「ブルーオーシャン」と呼びます。 「絶対に叶えたい夢はありますか。私にはあります」 この一文で、私は中学生のときにスピーチをした。 「架け橋になること」それが、当時から変わらない絶対に叶えたい私の夢だ。 大きな架け橋じゃなくていい。 経験、文化、宗教、なんでもいいから異なるものを持つ人たちが、お互いに理解しやすいよう仲介役になれればいい。 高校生のとき、Twitterで

          ブルーオーシャンの賞味期限

          モラトリアムが終われば

          モラトリアムが終われば、何者かになれる。何者かにならなければならないと思ってた。 モラトリアムとは 社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我の同一性を確立してゆく。 大学の教授とおしゃべりしていて、「あなたは生き急いでるようにみえるねえ」と言われた。 母と変わらない年の教授だが、数えられないくらいの

          モラトリアムが終われば

          お伊勢参りと母

          こんにちは。峰松です。 秋の3連休、実家で祖母の法事があったにも関わらず、 母と2人で三重県に行ってきました。 「日本人なら行っておきたい」なんてよく言われる伊勢神宮に母娘ともに初めてのお伊勢参りをしてきました。 前日まで同じ三重県で別のイベントに行っていたので、伊勢神宮近くの古民家を改装したゲストハウスからスタート。 9:00 身支度・他のゲストと大阪までの行き方で軽く盛り上がる。 10:00 前日にゲットしたいもようかんを朝食にする。母「思っとったとと違う」と放置

          お伊勢参りと母

          お父さん、パーキンソン病なんです

          高校3年生の冬、受験のために1週間のホテル生活を終え、帰宅したときに父は家にいませんでした。病院で検査入院をしていて、「パーキンソン病」と診断されてました。 3年前の冬、私は大学受験真っ只中で、3つ下の弟は高校受験を1ヶ月後に控えていました。 父がパーキンソン病と診断されて ・私は大学進学を断念するべきなのか ・パーキンソン病って完治するのか ・治療費はいくらするのか ・父は仕事を続けられるのか ・そもそもパーキンソン病ってなんだ 父にはストレートに聞けなかったので、

          お父さん、パーキンソン病なんです