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19.有給

がもうすぐ終わるようだった。あと10日。ご飯を食べながら、バイオ7をやりながら、唐揚げを揚げながら、どうしようと考える。

どうしよう。この言葉の、無責任すぎるほどのどうしようもならといったらない。ここ半年は、どうしようと思っているうちに時間が過ぎていって、少しずつ老いて、少しずつ壊れていった。どうしよう、などと考えずに、常に自分に意識を集中させ、優先事項を見誤ることなく意思決定し実行出来たら、素晴らしい人生だったのかもしれない。表参道になりきれもしない土地で会社員なんかやってる場合ではなかったかもしれない。でも現実の私は、普通に仕事をすることすら出来なくなり、薬を毎日7錠服用してもなお、不安というただの自意識が邪魔をしてただ普通の会社員であることすら出来なくなった。

普通の会社なら、産業医がいて私の意志を尊重した答えを一緒に考えてくれるのだろう。でも、うちの会社はそれなりの規模に急スピードでなったから、制度という制度がまったく追いついていない。人生を左右するといっても過言ではない話を、誰に相談するでもなく不安定な自分が決めることに、恐怖しか感じない。

3週間近く、彼から連絡も来なければ会社から連絡も来ない。このまま一生、彼らに気付かれることなくひっそりこの状態を保った後、いつのまにか解雇されていることを書面で知る、なんてことも全然おかしな話ではない。それくらい、うちの会社も彼も何もかもが生ぬるく、甘い。


CASTERに火を付け、ソファに座ってぼんやり煙を眺める。灰皿には既に5本のCASTERの屍が倒れている。昨日飲んで床に転がっているプレモルの缶に灰を落とす。

ずっとそうだが、生きている心地がしないし死んでいる意識もなくて、ただ彼からの連絡を待ったり、将来を悲観しているうちに細胞がひとつまたひとつと死んでいくのを黙ってやり過ごす。元々正義感の強い側の人間だった。そんな私は今、惰性を貪ることでしか正義に立ち向かえない。それが間違っているとわかっていても、止めるすべを持ち合わせていない。

10日で何か変えられるとは思えなかった。だからといって仕事に復帰できる状態でもないし、仕事を辞めたところで食っていける状態でもない。最後の切り札は休職、か。確か給料の2/3貰えるはずだった。食っていける。それしか生きていける選択肢がなかった。CASTERは相変わらず不規則な煙を漂わせはどこかに消えていった。まるで私の将来のようだ、などと意味を考えても無意味なことはわかっていてやめられない。

示し合わせたように、彼から電話がかかってきた。元気ー?と聞いてきて普通です、と答え彼が次の言葉を話す前に、有給があと10日で終わるからその後は休職をとりあえず3ヶ月お願いします、医者からは最低3ヶ月は様子見だと言われました、などなぜか嘘を交えながら休職したい旨を淡々と共有する。こうして淡々と言いたいことを言えると少しだけ気分が高揚する。病院でもそうだ。症状をうまく話せると、万能感に溢れる。でもこういうのも障害なのだからやりすぎないようにしようと自分にブレーキをかけようとは思ってる。彼は、わかったと言い、そういえば会社辞めるってよ、とメンヘラが会社を辞めるということを伝えた。一瞬心臓が跳ね上がり、ああそうですか、残念ですね、と返した。人事に言っておく、また近々ご飯でも行こう、と彼は言い電話は切れた。

メンヘラは会社辞めるのか。へぇ。辞めるんだ。へぇー。と繰り返し頭の中でリピートしていると、彼から電話があったことや休職出来ることをひっくるめて嬉しくなって気分がよくなった。さっきまでの鬱々としたものはなんだったんだろう。世の中は、自分の思い通りに動いていることが証明されたじゃん。悲観することなんてなくて、全部幻想じゃん。

テンションがおかしいのは自分でもよくわかっているが、止められない。鬱々としているときはもう辞めたいこんなのつらい死にたいと思うが、気分がいいときにはそれを止められない。だからこそ双極性障害は歯止めが効かない部分がある、とインターネットで見かけたがその通りだと思う。今の状態がこれ以上続くと、すぐまたうつになる。わかっているのに、気分やいいことを止める気には普通の人間ならならないから、調子に乗る。

今日はヒレカツでも揚げよう。そう思ってスーパーでヒレ肉を買い、家に帰って早速揚げた。揚げ終わるころには夕飯時だ。素晴らしい時間配分に、また得体の知れない万能感で溢れる。いつまで続くんだろう。薬はいつ効くんだろう、さっきまで考えていたことを1mmも思い出せないこともまた恐怖だった。私は既に得体の知れないものに成り下がった。ヒレカツを揚げている油が少しずつ汚れていくように私もまた、少しずつ歯止めの効かないエラーは少しずつ蓄積されていく。

(続)