『after sun/アフターサン』愛していても家族でいられないこと

中学生のとき、母が再婚して私の苗字が変わった。そのときに同級生の男子が「お母さん、若いもんな。もっと遊びたいと思うよ」と言ってくれて、「そっか、そうだよな。私でもきっともっと遊びたいと思う」となんだか腑に落ちたのをずっと覚えている。after sunの親子、カラムとソフィの歳の差は、私と母の歳の差と同じ20歳だ。

ネタバレ含みます。

 若い父親と娘が夏休みの短い期間を共に過ごす様子を描いた映画だった。彼らはトルコのリゾート地で、大きな事件もなく、2人は淡々と夏休みを楽しんでいる。ただ、時折少しだけ不穏に感じるような仕草やシーンが挟まり、2人の感情の揺れ動きを追体験することができた。人によって誰に感情移入するかや感じ方が変わる映画だと思う。私は特に父親のカラムの気持ちをすごく想像しながら観ていた。

 当時カラムは31歳で、ソフィは11歳。カラムと、ソフィの母親はすでに離婚していて、年に一回こうしてカラムとソフィは会っているようだった。ソフィが時折カラムをビデオで撮影し、カラムもソフィを撮影する。その時のことを、大人になった現在のソフィが思い返している。

父親としてのカラム

 カラムとソフィはとても仲が良い親子で、特にカラムは父親としてソフィをとても愛しているように見える。ホテル側の手違いでシングルベッドが一つしかない部屋に通され、カラムはソフィに大きなベッドをゆずり、自分は小さな簡易のベッドに縮こまって毎日眠る。何かがあった時のためにと真剣な顔で娘に護身術を教え、娘の背中に丁寧に日焼け止めクリームを塗る。まさに娘を愛する父親の姿があった。でも、カラムはきっと少し無理をして父親をやっていたんだろうな、と思った。たとえば。カラムは本当は喫煙者で、娘が寝入ったあと1人でベランダでタバコを吸っていた。にも関わらず、娘の前では一切タバコを吸わず、タバコを吸っている人が近くにいるのを見て「移動しようか?」とソフィに問いかける。喫煙者がタバコを我慢するのは結構しんどいんじゃなかろうか。
 こんなこともあった。ある日ソフィがホテルに帰ってくるのが遅くなった時、カラムはソフィのことを放って大きなベッドですっかり熟睡してしまっていた。身体のサイズに合わない小さなベッドで眠ることはきっと辛かったろう。
 ソフィが見ていない時のカラムははいつも酷くつらそうな表情をしていた。扉の向こうからソフィが話しかけてくるときも、表情だけはずっと険しいままだった。
 ソフィに「11才の頃、30才になったら何をしていると思ってた?」と聞かれて何も答えられないのも。カラムは自分が何になりたいかなんて考える暇もなく若いうちに父親になって、きっと後悔もあって、それでも娘を愛おしく思う気持ちはあるんだろうなと感じた。

カラムという1人の人間

 ソフィがカラムに「スコットランドには帰ってこないの?」と言ったときに、「スコットランドは太陽が少ないから」とカラムは冗談めかして言っていた。けれどこれはあながち冗談でもなさそうで、自分にとっての太陽が少ないという比喩的な意味も込められているのではないかと思った。家族に誕生日を忘れられていた、と溢す彼の姿から、あまり恵まれない家庭環境だったのではないかと想像した。
少し鬱気味なのかな、とか思ったりもした。いつもどこか辛そうだったのもあるし、日照時間が少ないと鬱になりやすいともいうし。そしたらきっと太陽が降り注ぐ国にいた方が彼にとっては幸せかもしれない。
カラムが「エディンバラを自分の故郷だと思っていない」と言ったとき、ソフィはきっとすごく悲しかったと思う。
11歳は子供だけど、思ったより子供じゃない。父のカラムの揺れ動きにもきっと薄々だけど気づいていたのだと思う。2人の旅行の最後の日にソフィはカラムに「もっといようよ」と言った。父親の微妙な反応を感じ取ってすぐに、「一生はいれないけどね」と茶化したように彼女は付け加えていて、あぁ11歳だ、と思った。なんだか分からないけれど、父を困らせていると察してしまうところ。
ソフィがちょくちょくお父さんに対して「高かったでしょ?」とか「そんなにお金ないんだから」とかいっていたのも、お父さんが金銭的に余裕がないのに無理してるのも分かってんだろうな。

親子で過ごした短い夏のあと


最終日をむかえて、2人は空港で別れる。ソフィは何度も何度も振り返って、カラムはその姿をビデオに映し続けた。ソフィが見えなくなったあと、カラムは踵を返して重いドアの向こうに消えていった。

 夏のごく短い間しか父親でいられなくて、その短い間でさえ上手く父親をやれなくて。ソフィのことは愛おしく思ってても、ソフィの前で父親として振る舞うのが辛くて。優しい良い父親として振る舞ったカラムは、またドアの向こうの辛くて苦しい自分の人生を生きていくんだろう。

 現在になり、かつてのカラムと同じ年齢を迎えたソフィ。この数十年の間に、2人の間に何があったかは分からない。けれど私はこのトルコでの夏が2人で過ごしたほとんど最後の時間だったのではないか、と思う。

 カラムは「愛してる 忘れないで」という言葉をソフィに宛てた葉書に残していた。会えなくても、一緒にいられなくても、父親として振る舞うことができなくても、それでも、愛している。そんなカラムの想いが伝わってきて、私はすごくすごく泣いてしまった。

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