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大きな道路沿いにニトリと電機屋、車屋、チェーンの飲食店が立ち並ぶ美しい日本の郊外の道


 大学のころ、私は京都に住んでいた。通学路がお寺の境内で、空きコマにお寺や神社を参拝できるような美しい街に、私は住んでいた。
 しばらくして新生活にだいぶ慣れてきたころ、私は日雇いのアルバイトをした。京都市の郊外のほうある工場まで、日雇いアルバイト専用のバスに乗って向かった。行きはずっとスマホを見ていて、帰りはすっかり疲れてしまってずっとバスの外を眺めていた。風景はすっかり闇に沈んでいて、見れば見るほど切なくなさを感じたけれど、なぜか同時に妙な懐かしさを感じた。大きな四車線道路(だった気がする)で、道路沿いには人の住むような建物は一切なく、その代わりに大きなヤマダ電機やニトリ、いくつもの車屋、駐車場と看板が大きいチェーンの飲食店やファミレスが立ち並んでいた。その景色は私が地元で母の車の窓から何度も何度も見た景色と同じだった。京都という都会と、地方の私の地元にこんな共通点があるとは思わなかった。
 あとから分かったことだが、これは何も私の地元と京都に限ったことではなく、全国各地で見られるようだった。家具屋や電機屋、何種類もの車屋(ホンダの斜向かいにトヨタ!そのちょっと先にスズキ!)、チェーンの飲食店、時々リオンドールのような大型スーパーが建ち並ぶ郊外の大きな道路。その道路は大抵工場地帯か、高速道路か、山の中へと続いている。出先や旅行先でこの景色を見るたびに、少し興奮気味に「出た!」と同乗者に語りかけてしまう。どの道も全く同じなわけじゃなく、少しずつ個性はある。ヤマダ電機がケーズデンキだったりコジマだったり(ビッグカメラ、ヨドバシは一度も見たことがない)、チェーンの飲食店がうどん屋だったり一応ローカルっぽいチェーンだったり、時々どでかいリサイクルショップがあったりもする。

 私は地元ちかくのどでかいイオンが大好きだった。周りはなぜか大量の田畑に囲まれていて、ちかくにSEGAの店舗型のゲームセンターもあった。イオンに入ったらたいていみどり書房とヴィレバンと楽器屋を見て、あとちょっと服屋さんを見てフードコートでサーティーワンを食べる。大人になって分かったけれど、こういうデカいショッピングモールの店舗ラインナップは大体同じだし、大体畑の中にある。映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』でも畑と田んぼだらけのところに建ってるでっかいショッピングモールが舞台だった。フランスに行った時、郊外の空港からパリの市内に向かうバスから外を眺めていたらでっかいショッピングモールがあったけれど、あれも周りが畑?のところだった。これはどうも全世界共通なのかも。土地が余っているところにデカい建物を建てるんだろうな。フランスのショッピングモールも、店舗ラインナップがだいたい同じになっちゃう現象、あるんだろうか。ただ、どこも同じ雰囲気の大型ショッピングモールの中で、香川のゆめタウンはすごく印象に残ってる。デカいショッピングモールらしい風貌なのにGUもユニクロも楽器屋もなかった。ヴィレバンも無かったかもしれない。あると思って入ったのに、無いんかい!と突っ込みたくなってしまった。服屋の年齢層が高めで、意外と場所によって違うものだなあと思った。

 観光地、結構どこも似通ってるところが多いなと思う。大学生の間、暇だったからたくさん旅行をした。そうしたら仙台の松島と天橋立のある舞鶴はだいぶ雰囲気が似ていた。私が松尾芭蕉だったら二つの場所で同じ句を読んでしまうかもしれない。それに、どこの観光地に行ってもコールドストーンの棒アイスと、棒に刺した濡れおかきみたいなやつが売っている。金箔アイスも、別にどこの名物とか決まってるわけではないみたいだった。有名な大きい神社は、たいてい本殿に向かうまでの道の途中に土産物屋やおしゃれなスイーツショップ(いちご大福とか鈴カステラみたいなのとか、売ってる)があって、アツアツの○○牛コロッケを売っているお店にお客さんたちが列をなしている。有名な温泉街にはたいてい練り物が売っているし、やたらおしゃれで今風なインスタ映えカフェが一軒はある。どこの観光地でもお土産に「白い恋人」もどきのラングドシャを販売している。大体どこに行っても同じ様相を見せる観光地の中で、コールドストーンのアイスなんか一切売っていない場所を見つけると私はとても嬉しくなってしまう。旅行に行ってコールドストーンのアイスなんか私はもう食べたくないし、観光地でわざわざカヌレや硬めプリンの有名な無機質カフェなんて行きたくない。垢抜けない、観光地らしくない姿を見せてくれたらとても嬉しい。確実に楽しくなくてもいいし、ちょっとくらいつまらなくてもいい。熱海は気持ち悪い観光地がたくさんあって、割と好きだった。中野ブロードウェイも好きだ。

 日本という同じ国の中だから、似てる景色も同じような場所もたくさんあるけれど、それでもその中にわずかにある違った部分、はずれたものが好きだ。だから私は大きな道路に電機屋が見えてくると興奮してしげしげと観察するし、その土地のデカいショッピングモールにやたら行きたがるし、観光地でコールドストーンの棒アイスがないか探してしまう。同じ部分と違う部分を見出すのは楽しい。23年間かけてやっとこれに気づいたから、また長い年月をかけて新しいことに気がつくだろうし、きっと一生退屈しない。

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