見出し画像

旅とわたし(9)タビビトイチネンセイ

こんにちは。人間です。

0.ご挨拶
旅とわたし(0)〜(8)を読んでくださった皆さまは、どうもありがとうございます。
文体がころころ変わったり、読みづらい部分もあったかと思います。あまりの無計画さに読みながらイライラした時もあったかもしれません。
それでも、あえてかっこ悪い部分を全面に押し出して書かせてもらいました。なぜなら、わたしは不器用で泥臭い人間だからです。でもこんな自分を今は気に入ってます。へへへ。
そう思えたのも、この旅で色んな景色や人と出会い、自分なりに自分についてよく考えたからです。
さてさて、#旅とわたし の企画に則って、この旅を振り返り、総まとめしたいと思います。

1.その旅に出た理由やきっかけ
旅とわたし(0)でも述べたように、旅のきっかけはとにかく人生がしんどくなっていたからです。でもしんどいままでいるのはらしくないな、と。「このまま万年床で腐って死ぬくらいなら、うんと美しい風景を見てからにしよう」と。まあ、今こうやってのうのうと生きてるんですけどね。

2.旅に出る前の自分
みんなにとっての「いい子」でいなくてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、期待に応えなくてはいけない……などと自分で自分を無数の縄で縛っていました。そういうシュミはないのに。
自分の輪郭がぼんやりとしていて、自分の人生を生きている実感がなかったのです。いつも他人の顔色とご機嫌ばかり伺っていました。
あまりにも不運続きで、会社の先輩からもお祓いを薦められたレベル。でも今振り返れば、自分で不運のきっかけを作っていたような気がします。不運にとって、「そういう人」にとって、私はかなり美味しい餌だったから。

3.
旅人になったと実感した日

この日から旅人、といった決定的な瞬間はありませんでした。小さな出来事、出会い、瞬間がひとつひとつ積み重なって、私を旅人にしてくれたように思います。
地図アプリで日本との距離感を実感した時、読めない異国の地名たち、なりふりかまわず力技で目的地を目指して息をのむ瞬間に立ち会った時、他の旅行者の方と「良い旅を(Have a nice trip)」と声をかけあった時、「i (観光案内所の看板)」を見つけた時の安心感、写真でしか見たことのない夢のように美しい風景を実際に自分の目で見た時、赤の他人のいびきの音を聞きながら明日の予定について考えている時……沢山沢山あります。
それからふと、「旅人」って必ずしも観光地へ旅行に行くことだけではないのかもしれないと感じました。普段の生活からでも、冒険心って生まれてくると思うんです。帰国してからは小さな気づきにわくわくすることが多くなり、日常の解像度があがりました。
長くも短い人生という名の旅を、これからも楽しくしなやかに時には泥臭く楽しみたいです。
今は旅人1年生って感じなので、6年生くらいにはなりたいですね。

人生や考え方を動かされたエピソード
148番のおじさん
頼もしいイタリアーノと優しいマダム
ハルシュタットで出会った日本人ファミリー
素敵な朝食をドアの外に置いてくれたママン
プラハを案内してくれた親切なHさん
一緒に乾杯した初対面の旅仲間
ハーゲンダッツについて熱く語り合ったフィリピンっ子
他にも、道中で助けてくれたバスの運転手さん、観光案内所の人、聖夜にもかかわらずお仕事して下さった方々などなど……数えきれない人たちが私に優しく手を差し伸べ、次の目的地へと運んでくれました。

人の優しさや愛に触れた時、赤の他人に手放しでこんなに親切にしてくれる人が沢山いるってわかった時、とても衝撃を受け、心が揺さぶられました。
それと同時に、自分は自分がどう見られているかばかりで、人に本当の意味で優しくできていなかったんだと思い知りました。
それから、愛を受けとることも下手くそでした。そんなの自分には勿体ないって思って強がっていました。愛がボールだとすると、今はなかなかのキャッチャーになれた、はず。
旅を通していったんゼロ地点に帰ってこれた気がします。人と同じ時間を共有したり、助け合ったり、そういうことの尊さ。そういうシンプルだけど愛に溢れた気持ち。

それからもうひとつ。わりと内向的な自分だけれども「自分から何かを発信して人の心を動かしたい」&「今しんどい人は少しでも生きやすく、今楽しい人はもっと楽しくなって欲しい」この2つの想いをいだくようになりました。自我がふらふらしていた自分に、こころの指針(コンパス)ができました。これで航海に出られるぞ〜。このnoteを始めたのも、そんな想いからです。あと、人が好きになりました♡

4.旅に出る前と出た後で人生がどのように変わっていったか
3で述べたことに加えて、帰国してしばらく経ってから、不思議と「優しいね」と言われる機会が増えました。帰国前の方が、ずっと人に気をつかっていたのに、です。「いい子だね」と言われる機会は減りました。「(都合の)いい子」だったのでしょう。優しさにホンモノとニセモノがあるのかどうかは分かりませんが、くさいことを言っちゃいますが、愛というものの本質が少しだけわかったような気がします。あと、なぜかよく褒められるようになりました。無理してるわけでも、自分をよく見せようとしてるわけでもないのにです。そして、自分を大事にできるようになって、人からも大事にされるようになりました。当時の仕事は、辞めました。正直、外から見れば恵まれた環境でした。だけど、私には合わなかったのです。自分の能力不足や環境に適応できていないことを認めるのが怖かった。だからこそ、必死で優等生を演じていました。でも、途中で糸が切れてしまったのです。みなさんも、どうか無理はしないでください。ここでの基準は、「人と比較して頑張れているかどうか、役に立てているかどうか」ではなく、「今、自分が苦しいかどうか」です。生きてるだけで、はなまる満点だからね。それから、仕事を仕事と割り切って働きたくないな、と思うようにもなりました。どこかしらに自分の想いをのせたいし、好きを仕事にしたい。そう思って今は試行錯誤しています。

5.現在とこれからの自分のこと
今、とにかく色んな人と会ってます。
それは寂しさからくるものではなく、なんというか、もっと健康的で自由な気持ちから。「人間の友達、クセ強いよね」とよく言われます。それ、誉め言葉です。これからも色んな人と出会うと思います。もしかしたら、画面の前のあなたとも……?

ここまで読んでくださってありがとうございます。

以上、人間でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?