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両親 6.父方祖父母の死

 私が中学生の頃、父方の祖母が、胃癌になり、東京で手術するということで、田園調布の当家に滞在した。手術後、少し回復し、散歩するなどしていたが、当時の癌は不治の病、結局は、半年ほどで亡くなった。御通夜の日は、父母、叔父叔母が、棺の前で、一晩中交代で、マージャンをしていたのを覚えている。供養のつもりだったのだろう。

 更に半年後、祖父も亡くなり、 道後の家を処分して遺産分けをしたのだが、なにせ、7人兄弟姉妹で、なんらかの事情のある人もいる。父が長男で、仕切った、というか、実際は自分の取り分を削ったのだろうが、母は不満だったらしい。父は、米国製の高級ゴルフクラブを買い与えたりして母をなだめ、 それで収まったのだから、案外単純だった。

 私が、高校生になったころ、田園調布は坂が多く、住みにくいということで、杉並に土地を求めて、和風の家を建てた。祖父の遺産も後押しになったのかもしれない。和風は、母の趣味で、外見は優雅だったが、住み心地はよくなかった。奥の一室に掘りごたつのある四畳半の和室があり、マージャン部屋にしていた。時々、母は、叔母仲間とともに、徹夜でマージャンしていた。
 
 姉と私の教育の方は、高校、大学の入試のタイミングを見計らって、家庭教師を付けて、後は宜しくとの態度だ。こちらとしても、勉強が分からないわけではないが、少なくとも家庭教師が来ている間は真面目に勉強するから、それだけで有効ではあった。
 
 姉の家庭教師は当時東大の仏文科生、勉学に加えて野球部のレギュラーで活躍し、典型的な文武両道、姉が無事に入学してからも当家とのお付き合いが続いた。参考までに、彼はその後大学教授をへて、文筆家になり、随筆「シングルライフ」がベストセラーになった。その名の通りずっと独身を通している。

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