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ペギー葉山から箱根駅伝へ

 2018年7月の日記です。
 
 50年前、姉は渋谷のミッション系の大学に通っていた。
当時、ペギー葉山の「学生時代」で歌われていたがごとく、
女子が主体で、男子はお飾り程度だったが、
昨今は箱根駅伝で優勝するなど、世間の印象は様変わりだ。
 

箱根駅伝で優勝

 姉には親しい友人グループがあり、時々我が家に遊びに来ていた。
そのグループの1人、Aさんの父上殿が
(小さな)商社の社長をしていた。
我父は、M重工(当時は大きさでは日本一)に勤務し、
それなりの役職についていた。
 
 で、Aさんのお父上殿が、姉を通じて、
我父にM重工の仕事を紹介して欲しいと言ってきた。
人のいい父はすぐに、関係部署に話を通し、結果、
某商社にとっては、かなりな仕事を得たようで、
お父上殿は父に感謝し、我が家にもお礼の品物が送られてきた。
当時の日本は経済拡大の一途で、この類の話は珍しい事ではなかった、
気がするが、高校生だった我身には印象深かった。
 
 その約50年後、昨年の春、正にその商社の数人が当社に来られた。
今では、一部上場の機械系の中堅商社だ。
当社の商品を扱いたいとのことで、お互いの会社を紹介し、
顧客のテリトリーなどを打ち合わせた。
 
 一通りの話が終わった後、私から、
御社の50年前のA社長さんをご存知ですか、
と聞いたが、誰も知らなかった。
考えてみると、来訪された方々は40代、50代、
50年前の社長など知る由もない。
 
 それでも、名前はかろうじて聞いてはいたようだった。
話のついでに、我父とA社長との経緯を話すと、
M重工との取引が無ければ、わが社はまだナスダック上場程度です、
と、真顔で話すが、単に私に気を使っただけかもしれない。
 
 以降、当社は、その商社の販売ルートを活用して
自動車関連の設備の売り込みに成功し、販路を広げている。

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