今が人生で一番安心できる毎日を送っています。 しんどかったことや日々のことを書いていき…

今が人生で一番安心できる毎日を送っています。 しんどかったことや日々のことを書いていきます。

最近の記事

大殺界なのか、運のなさなのか。

 2022年10月、10年以上働いたパートの職をやめ、正社員の仕事をはじめた。 …と思っていたが、初出勤日に告げられたのは有期雇用の社員であること。期間満了時に更新があるかないかはその時にならないとわからないということだった。 正社員雇用だと求人票にも書いてあったし、面接のときにも確認したのに、入ってから有期雇用という話をされたので驚いた。 初日から不信感。 それでもがむしゃらに業務をこなしていった。 残業もそれでも足りず自宅でも仕事をした。 しかし2023年1月中旬、立ち

    • 「人は育てられたようにしか、人を育てられない」という呪い。

      結婚していたころ。 子どもが生まれて少し経ったある日、 「人は育てられたようにしか、人を育てられない」 と、まるで呪いのような言葉を元配偶者母からかけられた。 その後、どのように自分は結婚生活をし子供を育ててきたのか、どんな苦労があったのかを数時間語り続けた。 夫(元配偶者父)の仕事で知らない地に引っ越してきたときは現金が20万円しかなく、とても不安だったこと。 夫(元配偶者父)が大病を患い、病院と家を自転車で往復したこと。 子どもを育てながら、自動車免許を取ったこと。

      • お金か愛か。

        昨日放送された世界の果てまでイッテQで放送されたデヴィ婦人のお話。 自力で年間200万円を稼ぎ出すことができないワタシにとっては 年間200万円の収入が低いという前提でお話しされているのを聞いているもの少ししんどかったのですが、なんとなく見続けていました。 「年間200億円の人と結婚すれば、尊敬と信頼が生まれる」 なるほどな。と思いました。 年間200億円稼ぎだすためには、知識教養も深く、相当の努力や苦労もありますし、運をつかむ力も強い。 それだけの力がある人でしたら、

        • できることもないし、どう動いたらいいかもわからない。

          ワタシはひとり親。 そして、地方団体のパートのおばちゃんだ。 勤務は10年を超えた。 まわりのパートさんたちは大変気の良い方が多く、助けてもらったりお手伝いしたり、お互いさまという精神がとても強い。 仕事自体も期限には追われるが、お金の数字に追われることはあまりない。お金についてきっちりしていることは必要だけど、稼いで来いと追い立てられることはない。 期限を守り、きっちりと仕事をしていくことを求められる。 コツコツを進めていくこの仕事はワタシにとって、とても心地いい。 ずっと

        大殺界なのか、運のなさなのか。

        • 「人は育てられたようにしか、人を育てられない」という呪い。

        • お金か愛か。

        • できることもないし、どう動いたらいいかもわからない。

          お金を使うのが怖い。

          こどものころから「お金がない」と母に言われて育ってきた。 おこずかいをもらえる年ごろになるとひたすら貯めた。 その貯めたおこずかいも母が小銭がないときには「貸して~」を言われ、貸し、返ってきたことがないので実質手元には残らなかった。 中学生になると、まわりの大人の手伝いをし、小銭や商品券・図書券をもらうようになっていた。 親はおこずかいを渡すのを忘れている。 高校生になるとアルバイトをしたり、人の手伝いをしたりで何とか身の回りの物をそろえていた。 父は借金の保証人と家のロ

          お金を使うのが怖い。

          結婚制度は難しい。

          母方祖母、母、ワタシ。 三人とも「幸せな結婚、幸せな家庭」を築いたことがない。 ドラマでよくある普通の結婚や家庭。 === 1.祖母の結婚 祖母は戦中に第一子として生まれ、きょうだいが10数人いるらしい。 きょうだいを育てるために祖母は学校を卒業した後、小学校の教師見習いとして職業に就いた。 昭和初期に当時の結婚適齢期を過ぎた祖母だったが、お見合いで祖父と結婚。 二人の子をもうけた。 祖父は家から遠く離れた場所で商売を営んでおり、帰宅するのは月に数回。家庭を支えるためのお

          結婚制度は難しい。

          ノンバイナリーと子育て。

          ワタシのこどもはノンバイナリーを自認している。 生まれたときの体の形に少しの違和感、社会で認識されている性別に違和感、性的役割分担に違和感、ファッションに違和感。 とにかくたくさんのことに違和感があるらしい。 もともと中性的な見た目の子だったし、性格も男女どちらからしいという感じではなく本人らしさを貫き通している。 しかし、二軸で考える人のほうが多いので男?女?とたびたび聞かれるらしい。 本人は聞かれても答えないし、相手が思う性別で認識してくれてかまわないと考えている。

          ノンバイナリーと子育て。

          離婚と就職。

          就職氷河期といわれる頃に社会に出た。 新卒で就職した職場は体調を崩し数か月でやめてしまった。 それから20年、アルバイトや非正規職員、派遣社員として仕事をしてきた。 社会人になってから、正規雇用されたのは2年10か月だけだ。 昨年から現在働いている職場で非正規職員も正規職員採用の試験を受けられるということになった。 昨年も、今年も落ちた。 たぶん来年受けても受かる見込みはない。 ワタシは保育士の資格がある。 この資格を活用すれば、すぐに就職できることはわかっている。 し

          離婚と就職。

          大黒柱。

          2020年12月。 こどもたちと昼逃げをした。 結婚生活を送っていたころ、 「大黒柱として家族を支える重圧を知らないくせに」 「家族のために働いているのに、ありがとうもないのか」 と、元配偶者がケンカのたびに話していた。 結婚初期は働いていなかったので、「気持ちを分かってあげられない、ごめん」とよく謝っていた。 昼逃げをし、家計を分けてから約1年半。 大切なこどもたちと生きるために仕事をするのはとても楽しい。 重圧というよりは生きていくために必要で重要なので働く。 収入を

          大黒柱。

          戦わない生き方をしていきたい。

          仕事して、結婚して、夫を立てて、子育てをして、家事をして、仕事で成果を出して、子供を進学校に入れて、親を介護して、仕事では昇進して、子供は有名大学に進学させて、親を看取って。 職場と戦い、夫と戦い、システムと戦い、規則と戦い、改革を起こしていくような、ちまたにあふれる女性の武勇伝。私にはできそうにない。 仕事は会社都合理リストラされるし、その後の仕事はずっとパートだし、正規の雇用を求めてみたものの、なかなか成果はでない。 結婚し夫を立てて生活する。夫は妻子を踏み台に職を

          戦わない生き方をしていきたい。

          うちに帰りたい。

          このところ、外出したらすぐにうちに帰りたくなる。 楽しくても、仕事でも、やらなくちゃいけないことがあってもなくても、うちに帰りたくなる。 こどものころから、離婚するまでは、なるべく家に帰りたくなくて、帰らなくちゃいけないぎりぎりの時間まで外にいることが多かった。 家にいても、気が休まったためしがないからだ。 離婚をして、こどもたちと三人暮らしになったら、ふわぁ~と息が抜けて、うちに帰りたくなるようになった。 三人でいることが居心地がよい。 その辺でゴロゴロ昼寝をし

          うちに帰りたい。

          とてもとても疲れた。

          離婚が成立して4か月。たくさん手続きを行った。 ふと気づいたら12月。 体が重くて仕方ない。 元配偶者からはこどもを混乱させるメッセージが届いたり、母のところへ手紙が来たり。いまさら何をしても状況は変わらないし、関係が変わることもない。本人自身が自覚を持たない限り変わらない。私ももう、期待はしない。彼にだけは性善説をあてはめない。 しんどいつらいだけで生活していくのはむなしさを感じる。 1月に大阪へ旅行することにした。 住んでいるところからはアクセスが悪い。が、こ

          とてもとても疲れた。

          お金の使い方。

          子どものころから、お金の使い方が下手だ。 なくなるのが怖いから必要最小限しか使わない。 これまでにPC20万円、CDコンポ10万円、新車の軽自動車130万円、ミシン15万円、婚姻時に購入した住宅の頭金100万円。 すべてコツコツ貯めて購入した。 子どものころ、親からおこづかいをもらえたりもらえなかったりだったので、中学時代から誰かの手伝いをしては商品券をもらって現金化したり、小銭をもらって貯めたり。 高校生の時は部活の合間に喫茶店でバイト。 生活に必要なものは温泉

          お金の使い方。

          お父さんが。

          毎朝、下の子を学校まで車で送っている。 甘やかしすぎかなとは思うけど、毎朝学校まで送ってさえ行けば楽しく学校生活を過ごしているようなので当分はこの生活を続けようと思う。 === 登校中の車から、2歳くらいの子を抱っこしながら歩いて小学生に付き添っているお父さんを見かけた。 すると下の子が 「うちのお父さんもあんな感じでやさしかったらこんな風にならなかったのにね」とポツリと一言。 「お父さんはさ、”やだ!”とか”忙しい!”とかで、なにかと一緒にやってくれないじゃない

          お父さんが。

          しんどい波がたびたびやってくる。

          結婚を終了したが、子どもたちと父親の面会日のために元配偶者と時折連絡を取らなくてはいけない状況にある。 調停中はほとんど取る必要がなかったので気づかなかったのだが、彼から受けた傷がまだまだつらいことに気づいた。 しんどいのは今だけかもしれないが、長いトンネルの出口が見えない。 LINEのアイコンを見るのですら、結構つらい。 しかし、子どもたちには今後人生の助けになるかもしれない父親との関係を少しでいいから繋いでいてほしい気持ちがある。 === 子どもたちは父親に積

          しんどい波がたびたびやってくる。

          離婚調停終了。

          2月から始まった離婚調停。 8月19日に終了した。 そこからがまるで戦争のような日々。 調停終了後、10日以内に離婚届を提出しなければならない。が、離婚調停の謄本ができあがるのが2~3日後と言われていた。 8/20の午後、できあがるとの連絡があり謄本を裁判所まで取りに行く。年金用謄本、離婚届用謄本、謄本写しを1通ずつ。(900円収入印紙) 8/23夕方、謄本をもって役所へ向かう。戸籍の窓口で謄本を提出し、一人で離婚届を記入。旧制には戻さず婚姻時の姓を使用する書類を書

          離婚調停終了。