見出し画像

日記 2024.4.29(月) テキストを探す旅。

朝目が覚めても体がぽかぽかのまま。銭湯の温冷浴効果がまだ続いている。毛布から知らぬ間に出していた足が気持ちいい。

今日もまだ祝日のようだ。引き続き天気も良くてうれしい。今日も洗濯をしよう。
白のアラン編みニット、ガンジーセーター、おばあちゃん手作りのニットベストを洗う。そんなに大きな汚れはないけれど、袖口部分はやっぱり汚れているから酸素系漂白剤も入れてくすみを取っておこう。通常の洗濯がないのでついでにニット帽とクマも洗うことにした。白物とは分けてこちらはバケツでつけおき洗い。勢いで冬物全てを洗うことに成功した。乾いて衣装ケースにしまったら衣替えが完了する。どんどん夏へと向かっていく。

山へ行きたい気分が盛り上がってきていていつのまにか登山へも行ける服に着替えてしまった。早起きしたから出かけたくなっているのだな。一応ルートを検索してみる。おやつに蒸したさつまいももパンもあるから行ってもいいかもしれないが、ちょっとぼーっとするのでやっぱり今日はやめておこう。生理前だし行き当たりばったりで行くと体調を崩しそうな気がした。こういう時の勘は当たる。わたしの体がとめているのだろう。

台所から部屋の窓にかけて気持ちの良い風が通り抜ける。ニットは窓際に陰干しにしているのでよく乾くだろう。クマたちはピンチハンガーにはりつけ姿で干しているのでちょっといたいたしいが我慢してもらうしかない。llbeanのクマはフリースを着ていたので服も洗った。これも一緒に衣装ケースに入れておいたら秋の衣替えの季節にちょっと楽しいかもしれない。フリースの代わりに去年わたしが着古したTシャツを切って縫い直したクマ用Tシャツを着せようと準備しておく。

お昼ご飯はカレーの残りを食べるのでお昼の準備は飛ばして1時間絵を描く。わたしは赤系の色を全然使わないのだけれど、今回はめずらしくピンクや茶色をメインに使って描いている。ピンクってかわいいのだな。ピンクの使い方を覚え始める。実は色々使えると分かってまた楽しくなる。ぐぅーっと大きな音がする。お腹が空いたのでお昼にしよう。11時台のお昼ご飯が戻ってきた。やっぱり普段通りが一番いい。自分で試して見つけて心地よいと感じた時間割を思い出しながらお昼ご飯を食べる。音楽を聴きながらご飯を食べるのが好きになってきている。静かに自分に集中しながら食事を味わう。ザワークラウトや梅干し、豆乳グルト、クミンを混ぜた残り物のカレーは昨日よりもさらに美味しくなっていた。

今日ももれなく眠たいけれどお楽しみの台所で昼寝の時間があるから大丈夫。玄関の出窓から入る風を受け吊るしているフライパンと鍋とが時々ぶつかりかーんと音がする。キッチンクロスも竹のトングもゆらゆら揺れている。それらを見ながら目をつむる。

13時ごろ起き上がり図書館へ行く。今日は落ち着いて本を読みたいと思った。
うちには本を読むための椅子が、ない。背もたれのある椅子がないのだ。本を読む時は丸椅子に座って台所の流し台を背もたれ代わりにして読むか、マットレスを壁にくっつけて敷き、クッションを背中にあてがい半分寝そべって読むかのどちらかしか方法がない。この間ご飯を蒸している暇な時間に立って本を読んでみたけれどなかなかそれも良かった。でもいずれにせようちではどこかに負担のかかる方法でしか本を読むことができないのだ。図書館にある椅子は極上の座り心地というわけにはいかないが、わたしの背中のカーブに沿ってくれるので楽な体制で本を読むことに集中できる。だからわたしは本を読みたい時は図書館へ行く。

雑多な日々をいくつか過ごすと今度はその経験を踏まえて頭の中に思考を巡らせたいと思うようになる。まとまらないわたしの生活の中にもなにかひとつ芯はあるお思いたい。自分なりに筋は通していきたい、そう思う。そんな自分の考えについて改めて考えるためにはテキストになる本を読む必要がやはりある。学ぶことは大好きだから好きな文体や好きな人の本はぐんぐん体の中、頭の中に入ってくる。入ってきた内容を自分のなかで整理して、自分の考えと照らし合わせたりしてみるのがただ楽しい。テキストは押し付けない。読みたくない本、読みたくない文をとばすことは簡単にできる。そして、本を読んでいるとわたしは別のことを考えるようになる。これはどうやっても直らないくせのようなのだ。本を読み始めて楽しくなってくると自分の世界に入っていってしまう。それですぐに読書は中断して自分の頭の中に浮かんできたことをメモに書き出す。

歩いて図書館へ向かう間に上に羽織ってきたシャツを脱いだ。くもって風もありTシャツ一枚がちょうどいい天気。26度。
図書館の中はキンキンに冷えている。ダウンを着ている人の姿もみえる。飲食店で働いていた時、店内の暑さにはクレームはほとんどなかったけれど寒いとすぐにクレームがきていたことを思い出す。人は寒さのほうが耐えられないのだと思った。ただ座って食事をしたり本を読んだりするだけならこんなに冷やさなくてもいいのではないかななどと余計なことを考えてしまった。でもとにかく寒くて30分でギブアップして一旦テラスに出て体を温める。温冷浴やってるみたいだな。

さくらんぼがふくらんでいた。中には真っ赤になっている実もある。ふと頭上の枝の先から音がしたので見てみると、広がる葉の間からシジュウカラちゃんがこちらをのぞいていた。わたしのおやつかぼちゃの種入りのライ麦パンをねらって来たのか。こんなに近くでシジュウカラを見られたことはないので嬉しくなって目で追う。胸元の黒いラインがはっきりしているのであの子はオスだと思う。ちっちゃくてほそ丸で可愛かったけれど、わたしにライ麦パンを分けてもらえないことが分かるとすぐにちょんちょんと飛んで行ってしまった。わずかな時間だったけれど、なんともしあわせな時間を過ごす。

館内へ戻る。まだ慣れないこのクーラーの冷えきった空気の中また本を読み始める。今日の図書館はものすごい人。館内を行き交う人も多くショッピングモールにいるみたいだ。席も開けばすぐに埋まる。テラス席もほとんど埋まっていた。

本を読むことが好きだけれど、わたしの場合は読んで終わるということはあまりない。長編小説はほとんど読まない。物語はファンタジーやむかし話と絵本が大好きだけれど、わたしの読む本の中心はエッセイなどごく私的な文章が多い。その人が試して感じたことを知るのが好きだ。これも昔からなのだが、エッセイの中に試したいことを見つけて実際自分でも試すことが何よりも楽しい。試すことを探すために本を読んでいると言ってもいいくらいだ。エッセイの中で見つけた料理を想像して作ってみたりすることも面白いし、出てきた言葉を実際吟味して自分で使ってみたりすることもある。考え方や捉え方の技術も本から学ぶことが多い気がする。本はページを開きたいと思ってから読むことができるのもいい。勝手に耳に入ってくるということがあまりないのもわたしにとってはすごくありがたい。

本は探して出会う楽しみがある。だから本を読んだり買い揃えたりするきっかけを与えてくれる人や瞬間を見逃さないようにしたい。本は読むまでいつまでも待ってくれる。実際に買うところまで到達した本は、すぐに読まなくてもいつか開く時が来るかもしれない。その時すぐに読めるようにしておくことも必要なことと感じる。
本を整理して手放すこともわたしにとっては同様に大事なことと感じる。わたしが満足したものは次の人へ繋いでいく。そうやって必要な人のところに回っていくことも大切だと感じる。わたしの場合、変わっていく自分を整理するには本を整理すると分かりやすい気がする。

図書館ではあっという間に時間が過ぎる。16時に図書館を出てこだわりの八百屋さんへ向かう。美味しそうなうどがあったけれど野菜はたくさんあるのでおやつの煮干しだけ買った。煮干しをストックしておくとなんだか落ち着く。煮干しは小さな頃からわたしの大切なおやつだった。

夕飯はさつまいもを蒸したのとお味噌汁を作る。そろそろ実家に帰ることを考えて冷蔵庫の食材を整理していかなければいけない。段取りを組んでいくのが大好きなので嬉しくなってしまう。乾燥食材たちがあるのでうまく使ってみようと思う。

お風呂に入ってストレッチをしたら小さなライトの下で今日の終わりに本を読む。ソクラテスの弁明、ついに読み終わってしまった。なんの知識も情報もない状態から読み始めた本だったけれど読んでいくうちになんとなく当時のギリシャのこともソクラテスという人の人物像も少しだけ見えてきた気がした。わたしの中にいつまでも残っていくであろう本に出会えたことが嬉しい。自分の気持ちに迷ったり、悩んだりする時にはきっと、この本を何度も開くことになるだろう。

この記事が参加している募集

私は私のここがすき

今日の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?