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日記 2024.5.6(月) 自分に配慮し、ことばをかける。

ゴールデンウィーク最終日らしい。今日は風が強くてざわざわしている。
昨日は外でのおしゃべりが盛り上がり過ぎて少々体が冷えてしまった。のどもイガイガする。そして生理が始まりお腹周りが重い。午前中は気だるさを感じながらも少しずつ体を動かしていく。今日みたいな日はこれまでだと起き上がることさえできなかったのだと思うのだが、今朝もいつも通りの5時半に目が覚めて8時過ぎに起き上がり、ゆっくりでも布団をあげたり、顔を洗って化粧をしたりすることができている。休み休みやればいいよと自分に声をかえるだけで、こんなにも気が楽になり、ついでに動くことができるのだなと思う。生理のせいだから動けないのは仕方がないと自分に声をかけていた時はどこかで焦りと罪悪感のようなものを拭い去ることができていなかった。素直に敬意を持って自分と接することができるようになると、かける言葉も変わり、わたしも自分を信頼して心から安心することができる。自分にかける言葉も慎重に選ぶべきだということがよくわかる。

歯磨きをして空腹のままハチミツをひとさじのどに塗り込む。番茶もたっぷり出してナルゲンに入れて抱える。調子があがらないときはまずわたしなりの養生法を試していく。それでだめならまた考えるけれど、自分のことを知っていくと自分が喜ぶことが分かるから、大きく体調を崩すなんてことはなくなってきた。というか、調子がよくない自分をまずは受け入れ、冷静に対処していくことができるようになってきたということか。体調を崩すということはなにか必ず理由がある。無理をすると悪化するのはまあ、当然ですよね。
お腹周りが重いのが少し軽くなる。体が冷えていたんだなと思った。今は風に当たらないほうがよさそうだ。窓も閉めて分厚い靴下を履き、ブランケットをかけて気が済むまで横になってだらりとしながら午前中を過ごしていく。横になっていると楽だ。

なにかのタイミングでふと思い出したのだが、わたしは小さな頃に新聞を作ることに夢中になっていた時期があった。小学生の頃に新聞委員というものがあったのだろうか。小学校の廊下に張り出される新聞を作っていたような気がするのだが。まったくの想像、もしくは夢の中の話かもしれないのだが、楽しくて楽しくて仕方なかったということを覚えているので思い出したのだった。わたしは自分の世界観を広げる遊びが好きだった。頭の中に家族をもうひとつ作って毎晩寝る前に物語を進めながら眠っていた。架空の自分のブランドを作ってグッズを考えて絵に描いていた。あの頃りぼんの応募者全員サービスのグッズに憧れていたからその影響が大きいのだろう。うちはお父さんの実家に住んでいたのでもちろんお母さんとばあちゃんの仲がよくなかった。そういったストレスを発散する方法として嫁姑問題を題材にした小説みたいなものも書いたりした。絵を描くことが大好きだったので漫画も描いていた。それらを友だちに見せて感想をもらうのが何より楽しみだった。休憩時間はほとんど教室の机の上で真っ白な自由帳に向かって過ごした。友だちとのコミュニケーションはわたしの作ったものありきだとスムーズにできていた。
あの頃のわたしは自分なりの発散の仕方を編み出すことができていたのだなと思う。ストレスなどということばは知らなかったけれど、なんとか自分の中にある悩みや不安を解消する方法はないかと試していたのだと思う。わたしはやっぱり創作することでいきいきとするのだと思った。思いついたアイデアを試して何かを作ることこそがわたしの支えであり楽しいことだったのだと気づく。これまであまり振り返ることのなかった小学生の自分になにかヒントがありそうな気がしてきた。実家に帰ったらその頃の自分について調べてみたいと思う。

午後になってもなかなか調子は上がらない。ぐったりとして本格的に横になって過ごすことにした。自分と話し合う。明日はハローワークと区役所、銀行へ行き、実家に帰る前の準備のための買い出しなどもしたい。洗濯もあるし結構予定は詰まっているけれどでも早起きならば無理なくいけるだろう。買い出しくらいは今日のうちに終わらせたかったけれど、無理して動いて明日まで不調を引きずることは避けたい。外に出る時は音やにおいなどただでさえストレスがかかるのでなるべく万全の体制で挑むべきではないか。今日はとにかく体を休めることに専念しよう、ということになった。

納得したらもう不安にならない、焦らない。罪悪感もない。絵だけは描こうかなと思ったけれどそれもやめにした。わたしの場合、疲れてない時はちゃんと眠れなくなる。動き出せよと目が覚めるのだ。何時間でも眠れてしまうということはやっぱりいまは眠る必要があるのだと感じるのでそれに素直に従うべきなのだと思う。
わたしの体の中はいつも素直で正直に動いているのに横から変な自分が出てきて無理して起き上がれということはできないのだ。人に言わないようなことは自分自身にも言えないのだから。
自分にも最大限の敬意をはらい、配慮のあることばをかけながら接していくことが必要なのだと思う。

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