ゲーム業界本批評(ゲーム戦線超異常)

(*)高柳氏プロフィール(著書より)
1942年生まれ。66年毎日新聞社入社。おもに経済部記者。84年からメディア部門。データベース次長、メディア事業局次長など。
高柳尚(*)
ライフ社
96年12月

プレステ大好き天然おじさんの書いたゲーム業界本


ゲーム業界本の中には「アンチ任天堂系」というべきジャンルがある。任天堂=悪の図式で書かれた本だ。このジャンルの「大家」は馬場宏尚氏だ(*)。しかし、馬場氏は商売としてこの図式を利用しているだけのようなのだが、ここで取り上げる高柳尚氏は任天堂=悪の図式を本気で信じているようなのだ。行間から任天堂への憎しみがあふれ出る一方、SCEの喧伝したバラ色のビジネスモデルを本気で信じている。それゆえ、ある意味とても面白い本である。ツッコミ入れどころ満載だからだ。

(*)馬場宏尚氏については後に書く予定

任天堂=悪の図式で書かれるときに欠かせないのが、「任天堂は高額のロイヤリティを徴収し、一人だけ儲けている」というお話だろう。高柳氏もご多分に漏れずこのお話を持ち出す。


スーパーファミコン用ソフトは、だいたい一万円前後の希望小売価格になっている。そのコスト構成は以下のように推定される。(94年ごろ)

製造費 1000円
ロイヤリティ 2000円
ソフトメーカー取り分 2500円
一次・二次問屋・小売マージン 4500円
 これは「掛け率55%」の場合の推定だ。掛け率とはソフトメーカーが問屋に売りわたすときの、希望小売価格に対する掛け率ということだ。
(中略)
96年3月期決算で任天堂は、売上高3004億8100万円、経常利益1171億3300万円を計上している。対売上高経常利益率は、38.89%だ。ほとんど四割である。
こんなことは信じられない。他の産業では売上高に対する経常利益率が10%もあれば、ものすごい優良企業だとして賞賛を浴びるものだ。それが「四割」というのは異常というほか無い。常識はずれの数字だ。
コスト・ゼロの売り上げが、以下に多いかという事実を示す以外のなにものでもない。つまり、たくさんのソフトメーカーが一生懸命に開発したソフトの稼ぐ利益の大半が、任天堂の懐に入っているということだ。
(133~135頁)



ではツッコミ開始。コスト・ゼロの売り上げとしているが任天堂の売り上げの7割以上は自社ハードとソフトの売り上げなのである。仮に高柳氏の推定するように利益の大半がソフトメーカーへの売り上げから出ているものとすれば、7割以上を占める自社ハードソフトの利益率はとてつもなく低いということになる。つまり、任天堂はリスクを十分に負っているということになるのである。

つづいて高柳氏はSCEの利益配分を紹介し、任天堂に比べて如何に素晴らしいかを力説する。

そのコスト構成は以下のように推定できる。
製造費プラス・ロイヤリティ 900円
ソフトメーカー取り分 2290円
SCE卸売りマージン 1160円 20%
小売マージン 1450円 25%(中略)
ソフトメーカー、SCE,小売店、ユーザーの4者で利益を分け合う姿勢がはっきりしている。ソフトメーカーとユーザーは、この仕組みに全く異存ないはずだ。
(137頁)

製造工程を見ればわかるようにCD-ROMの製造コストは、きわめて安い。素材のプラスチックだけの部分なら、一円か二円かということだろう。コストの大部分は、たぶん保管の費用と運送費、あるいは機械設備の償却費とか金利だけだ。パッケージまで全部あわせて数十円か。
(131頁)(*)

ロイヤリティだけ見ると任天堂に比べて半分以下になっているので、SCEの取り分は少ないかに見えるが、「SCE卸売りマージン」はSCEの懐に入るのである。ロイヤリティと合計すると900円+1160円で2060円。希望小売価格5800円に対して、35.5%だ。一方、任天堂の希望小売価格に対する取り分は2000円/10000円=20%。つまり、SCEの取り分は合計すれば任天堂より絶対額でも、希望小売価格に対する率で見ても多いのである。「全く異存が無いはず」というが、後にスクウェアやコナミといったソフトメーカーはSCEが卸売りマージンを徴収することに不満を感じて自主流通を開始した。ソフトメーカーに「異存はあった」のだ。

さらに、SCEの中古ソフトに対する規制問題に関しても

SCEによる中古売買の拒絶方針も、一部ユーザーの理屈抜きの感情的な反発を受けている
(146頁)
とSCEを全面擁護している。中古売買の正当性を訴える意見を「一部ユーザーの理屈抜きの感情的な反発」と切り捨てるとはね・・・。

後半になると、高柳氏は技術的な問題にまで触れ始める。

16ビットから32ビットへの格上げは画期的な変化があったのに、「32ビットから64ビットへの格上げでは、なぜあまり見た目の変化が無いのか」について説明を試みたい。
それにはまず、「ビットとは何か」の説明が必要だが、実を言うと、これを理解するのに大変手間取った。普通に入手できる用語解説とか年鑑とか、記事データベースなどで、これについて適切な説明をした文章が発見できなかった。
身の回りには多数のシステム・エンジニアやプログラマなどという肩書きの人がいるのに、「文章で」というと全員しり込みする始末。
そこで、奥の手であるパソコン通信で質問してみた。
すると・・・すぐに回答が寄せられた。感謝の意味を込めて、「ぱんぷてぃ」(ハンドル名=パソコン通信上の名前)氏の全文を引用する。

 
簡単に言ってしまうと、ビット数というのは「コンピュータが一度に扱える数字の桁数」です。16ビットと32ビットの違いも、8桁の電卓と16桁の電卓の違いを考えればすんなり御理解いただけると思います。
 ただ、四則演算+αしかできない電卓と違い、コンピュータの世界でビット数を増やすということには、以下に挙げるような重要な意味があります。
一 一度にアクセスできるメモリの範囲が広がる。
 16ビットのCPUの場合、一度にアクセスできるメモリは高々64キロバイトであり、64キロバイトより大きなデータを扱おうとするとデータを分割する必要が生じます。
 (中略)
32ビットと16ビットの決定的な差は、メモリアクセス範囲の差だと考えていただいて間違いありません。
また、ある特殊な用途を除いて1台のマシンに4Gバイト以上のメモリを搭載するケースは考えられないので、64ビット32ビットの差は実用上ないと考えていいでしょう。
(中略)
32ビットCPUの高速性はビット数が倍増したことよりも技術的な進歩によるところが大きく、一概に「ビット数が多い=高性能」とは呼べない部分があります。もし32ビットCPUに適用した技術を用いて16ビットCPUを作ったならば、上記の要因が問題にならないような小さなプログラムでは、32ビットCPUと遜色ない速度を実現できるはずです。
 64ビットCPUの高速性もその多くは技術の進歩に基づいたものであり、ビット数が倍増したから速度が向上したという単純なものではありません。
(中略)
N64が64ビットCPUを採用したのは「技術革新により得られる高速性」と「イメージ効果」を狙ったものであり、個人的には64ビットである必要性は感じていません。発売当初サターンが「64ビット級」などと称していたのも、単なるイメージ効果を期待してのことであり、たいした意味はありません。(ぱんぷてぃ)

つまり、CPUが16ビットから32ビットに変わったことは、映像処理の上では大進歩なのだ。しかし、32ビットに変えて64ビットを使っても、見るべき変化は無いと第一線の専門家が言うのである。
 任天堂のキャッチフレーズ「64が変える」は看板に偽りありということだ。
(162頁)



毎日新聞に勤める方なのに取材の奥の手がパソコン通信とは・・・。まぁそれはおいといて、高柳氏はCPUの性能がそのゲーム機全体の性能を決定付けるメルクマールであると思い込んでいるらしい。アーキテクチャという概念を知らないのだ。N64のメインプロセッサはCPUではなく、RCPと呼ばれるプロセッサであり、CPUはサブプロセッサとして使われているだけなのである。
N64の開発責任者である竹田玄洋氏は(*1)
「処理速度が速ければ32bitでもよかったんですが、R4300iは内部クロック90MHz以上で動いていますが、R3000(*)ではなかなかそうはいかないですから」
と明言しており、ビット数などにこだわっていない。
さらに
「N64のグラフィックはディスプレイリストさえ書けば、ほとんどSPが書きますから。そういう意味でCPUの役割というのは、さっき言った物理現象をシミュレートするとかいうことになります。」
とのことであり、N64の場合CPUの役割はあまり大きくないのだ。
高柳氏はこうした事情を知らずに、32ビットと64ビットの実用上の大差は無いからプレイステーションとN64の性能に大差は無いと思い込んでしまっているようだ。


パソコン通信で聞きかじっただけの知識から高柳氏は暴走を開始し、ついには以下のようなことまで言い始める。

シリコングラフィックスの64ビット構想に、喜んで乗ったところに任天堂の技術音痴ぶりがわかる。CPUのビット数を大きくするということの意味を全然理解できなかった。ただ、単純に「これでソニーに一泡ふかせられる。群がるライバルを蹴散らせる」と喜んだのではないだろうか。
(175頁)
「スーパーマリオ64」を自慢しすぎると思う。確かに、よくできたソフトかもしれないが、あの程度の動きなら32ビット機のソフトが二年前に実現しているのだ。
(177~178頁)



スーパーマリオ64並のソフトがその二年前に32ビット機で登場している!!いったいどのソフトの事を指しているのだろうか・・・(苦笑)


あとがき

 実を言うと、私はゲーマーです。50歳を超えてからゲームの面白さに目覚めて、現在はゲームにはまっている状態です。ゲームの面白さに目覚めたのは間違いなくプレイステーションという本物のゲーム機があったためです。このゲーム機の中に展開する世界は、まさにヴァーチャル・リアリティそのもので、驚嘆しました。
(202頁)

PS以外は本物のゲーム機ではないそうで、PSのゲームはヴァーチャル・リアリティそのものだそうです。マリオ64並のソフトが32ビット機でその2年も前に登場していたと主張する方のゲームを見る目は違いますなぁ。

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