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内省ぐるぐるをアウトプット


書きたものはたくさん在るのに
ついつい後回しにしちゃって
気づいたら11月ぶりのnoteとなりました(てへ)


最近、自分の中の内省スイッチがONになりやすく
自分への解像度がどんどん増している今日この頃です。
(いちゃるさんセッション様様)

4月後半からは復職を控えているので
そこまでにできることはやっておきたいと思い
その記録としてこのnoteを書いています。



では早速、今回の本題へ。


前回のセッションでもらったいちゃるさんからのFB。

『はっとりさんは自分の生きる”価値”や”意味”を信じたいように見えます』



うーん、深い。

ふーん、と聞いていたけど
考えれば考えるほどそうなんだよな。
なんでいちゃるさんに分かっちゃったんだろ。

私の価値って?
私の生きる意味って?


結局人に何を言われようと
自分で信じて確信を持たないと
本当の意味で腹落ちしないのよね。

なんならその答えって
一生出せないんじゃないかまである。

でも現状の答えとしては


【目の前の人(自他共に)と全力で向き合う】



の一言に尽きるんだろうな。


「で、そのために私ができることって何?」


その答えを見つけるために
改めて自分の振り返りを読み込んでみる。

自分自身が辛い時「ちょっと聞いてよー」と人に頼るのが上手な人もいれば、「こんな話したら迷惑かもしれない(でもほんとは聞いてほしい)」と考える人もいて私は前者の傾向が強いけど、後者の気持ちもすごくわかる。なので「私は違和感を感じたら感情のゴミ箱になれる人だよ!全然遠慮なく頼ってね」っていう姿勢を常に見せていきたい。自ら一人になりたい人は別だけど、そうじゃない人(もちろん私がある程度距離感が近くなっても良いと思う人の中で)にはしんどい時に頼って良い人だと認識してほしい。一人じゃないよ、私がいるよって。でも裏を返せば私もそういう人たちを求めていたし、実際そういう人たちに救われているからだなとまたまた感謝の気持ちが芽生えた。

「ありがとう」の対義語は「当たり前」物事には終わりがあるとある種の諦めがついているからこそ、周りの物事に感謝できるのかもと思った。永遠に続くものはないと諦めの感情があるからこそ、感謝や愛情の感情が湧いてくるのかも。でもだからこそそれがずっと続いて欲しい→そのために私ができる事はなんだろうって考えるのかも。過去の自分はそれを感覚で分かってたんだなぁ。本当よく頑張ってたんだな、過去の自分すごいし感謝。

やっぱり近しい人が悲しむ姿は見たくない。かと言って距離をとるとか、ありきたりな言葉はかけたくなくて、自分には何ができるんだろうと思う反面、自分にできることって実際ないよな...と諦めに似た感情も湧いてきたり。結局話を聞く、ラインの返信をするが自分にできる最大限の寄り添いなんだと言い聞かせている。また私が必要になった時に遠慮なく頼ってくれる人であれるように私は私で自分の足で立っていこうと思った。

なかなか熱いのね、私って笑。

そしてやっぱり根底には
【無条件で愛してほしい】
っていう欲求が他の人より強くあるんだろうなって、

だからこそ
目の前の人をありのまま認めて、受け止める”
という行為を通して

”私も同じように無条件で認めても良い存在”
なんだと

”私の人生にも意味があるんだ”
と信じたいのかもしれない。

この辺の拗らせ具合は↓
※後編はないし結構重め笑


自分を満たすのは得意だけど、それと
”ありのままの自分を認める”
はイコールではなかったんだよね。


自分にとって劣っていたり、未熟だったり
感情コントロールができなかったりするのは
ダメなことと思ってた。

本当はその部分も含めて自分だし、
全くダメではないんだけど。


でも周りの人を認めて受け入れることで
(って言ったら偉そうだけど)、

『あ、私ももっと弱くてカッコ悪くてもいいのかもしれない』

と思えるようになったのは本当に成長だし
付き合ってくれる人たちには感謝しかない。

ちょっと大げさかもしれないけど

”絶望(諦め)””希望”を繰り返して

で、その”希望”を信じて糧にして進んできたからこそ今の私がある。

って考えると私の未来には”希望”しかないんだよな…

でもその”希望”を感じる未来には私一人では辿り着けないし

やっぱりそのためには私の周りの人たちにこそ
楽しく笑顔でいてほしいなって思うわけです。


そしてそのために私ができることがあれば
全力で向き合って話を聞いて、
一緒に泣いて、
一緒に笑って、
一緒に高めっていきたい。

見返りはいらないと思っていたけど、ちゃんと愛情を返してほしいと思っていることに気づいた、と仰ってましたね。 ココで感じたのですが…もしかしたら、はっとりさんにとっての「愛情」は、「愛される自分で在ること」、「相手とギブしあってあたたかい気持ちのやり取りができる関係を作ること」なのかなと感じました。愛される自分で在る、というのは、相手から愛してもらう価値がある自分でいること、というイメージです。相手にギブできるように自分の足で立つ/相手の愛情を無下にしない/愛情がほしいと大事な相手に伝える/相手に手を差し伸べる、などが含まれると感じました。

いちゃるさんからのFB

そう。
やっぱり信じたいのよね。
みんなが愛し愛されて、認め合って高め合える未来を。

そのために今、私ができることは寄り添うことかなって。

そして目の前の人の可能性を誰よりも信じて、
全力で応援して、

「何があっても味方だよ、私がいるからね!」


って本気で言えることなのかなって。

何が言いたいかわからなくなってきたけど、
結局私は人との関わりがないと人生に充足感を感じられない訳です。
(なんかラブレターみたいだ…笑)

なのでこれからもたくさんの人と交流しつつ
過多気味なエネルギーをみなさんに還元できたらなって思ってます。


4月の復職まであと少し…
悔いなく育休を終えれるようにぼちぼち頑張ります!


おーわりっ!

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