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小さい駅に行った話

朗読したいなと思っているけど、作品に自分が近づけず苦労しているものがあります。太宰治の「待つ」。第二次世界大戦の時代、若い女性が駅のベンチに座って何かを待っているのと語る一人称のお話。
文庫本でも3ページほどのとても短い作品です。すぐに読めますし、何かストーリーがあるわけでもない。「私はここでこうして待っているのです」とずーっと独りで言っています。
どんな人なのかイメージしたのですが、読めば読むほどイメージとは離れていく。私の声がそれにはまらない。
文字は読めるんですよ。でも読めていない。ズレが大きすぎる。そんなことを1週間以上続けています。


【省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。】(太宰治・作「待つ」より引用)

少しは気持ちがわかるかなと思って地元のローカル線、JR日光線に乗り、沿線の駅のベンチに座ってみました。

なんかスポット的な豪雨に見舞われました。ベンチのあるところには屋根がありましたが、「雨すごいわー」という感想しかなかった😅

それはそれとして。
日光線に乗ったのは30年ぶりくらいかな。日光駅の一つ手前に今市駅というところがあり、その近くに母の実家があります。子供の頃、電車でよく行きました。私の記憶の中にある日光線沿線の景色も変わったのかなーなんて思い、電車で日光駅まで行くことにしました。

4両編成の車両。昔はボックスシートでしたが、今はロングシート。行きと帰りで座る向きを変えて車窓を楽しむことにしました。

30年前よりは開けたはず。正直なところ昔の風景をほとんど覚えていませんが、車で通らないようなところを電車は行くので、思っていた以上に山がちでした。昔とあまり変わっていなさそうなところもありました。

各駅は昔は白い木造の建物だったと思いますが、ブラウンがベースの建物に変わっていました。駅名の立て札?だけ写真を撮りました。
下の画像は文挾(ふばさみ)駅。

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次は下野大沢(しもつけおおさわ)駅。

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次は今市駅。

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今市駅はよく降りたのでいろんな思い出があります。
駅を出て踏切を渡った先にあるお店でよく駄菓子を買ったよなあ。
その建物は今もあったのですが、屋根が朽ちてボロボロ。もう人は住んでいないのかも。ちょっと悲しくなってしまいました。その先に行くと今市高等学校があるのだよなあ。祖父が亡くなってからは数えるほどしか行っていない母の実家も電車から見えました。昔はこの公園もなかったよなあなんて思いながら、その先の日光駅へ。

そういえば電車に乗って日光駅に来たのは初めてかも。
開業は1890年(明治23年)、1912年(大正元年)8月25日に、現在の2代目駅舎が落成したそう。ネオ・ルネサンス様式のハーフティンバー様式木造洋風建築2階建(Wikipediaより)。改装をへて健在です。淡いピンク色でメルヘンな佇まいです。

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大正時代にこのデザインですからかなり気合入っていましたよね。階段を登り、2階にあるホワイトルームにも入れます。豪華なシャンデリアがあってステキなホールでした。申し訳程度の展示物があっただけなのでもったいない。イベントなどで使うこともあるのかなあ? 駅のホームには「貴賓室」なんてのもあって(中は見ていない)、なかなか面白い駅舎でした。
東武日光駅も歩いて2分くらいのところにあります。その駅前は賑やかなのですが、JR日光駅の前はとても悲しげでしたね。すぐ近くなのにこの差はなんでだろう??

駅前で名物のゆばそばを食べました。
私が盛り付けを細工しています。

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温かいおそばには巻きゆばの煮付けが2つのっています。サヤエンドウで八の字の眉毛にして、巻きゆはとネギで目玉を作り、かまぼこで口を作りました。薬味のかつお節をひげにしたのだけど、よく見えないなあ。間抜けな顔になりました。
日光駅から東照宮まで歩いていけないこともないのですが、東照宮の中がこれまた広くて大変なので、途中まで歩いて行って戻りました。
日光での滞在は2時間くらいかな。こういう気ままな小さな旅もたまにはいいかもしれない。またローカル線に乗ってみようっと。(了)

※トップ画像はJR日光駅の駅舎です。

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