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【朗読後記】芥川龍之介の『蛙』を読む


私は昔から蛙が大好きです。キャラクター化されたグッズを集めていたこともありますが、今はどちらかというとグッズよりも本物の方が好きです。昔本気で飼育を検討しかけましたが、生き餌の問題があり即断念しました……。
恥ずかしながら蛙好きなのにこの作品のことを知りませんでした。私が読まなくてどうする!という変な使命感のもとに読みました。

作者が蛙のたくさんいる池を眺めて、彼らの議論と近くにいる蛇の様子を見ているという話です。前後に音楽を入れても7分という朗読なので大変短い作品です。短いし簡単に読めるんじゃないか?と思ったのは一瞬でした。さすが芥川。読めば読むほど深い。
いろんな角度で解釈できる作品というのは読み応えがあってとてもいい。100年以上も前の作品ですが、現代であっても遜色のないテーマです。痺れます。

自分の知るちっぽけな枠の中で自分の尊大さを語るおかしさ。
どんなに力を得ようとも、災いは突然やってくる。
災いは人知れず近づいてくる。
多数の幸福のための犠牲は許されるのか。
どこかで起きた不幸を「自分には関係ない」とただ傍観している。

私はこんなことを考えながら今回読んでみました。
皆さんはどんなことを思うでしょうか。ぜひ原作をご覧ください。
 青空文庫「蛙」

解釈の話はここまでとして、朗読の話です。
今回悩んだ点の一つが蛙の鳴き声です。本作では「ころろ、からら」「ヒヤア、ヒヤア」と表現されています。
Youtubeで朗読をいくつか聞いてみました。
コ(↘︎)ろろ、カ(↘︎)らら と頭高ばかりでした。

うーん。蛙の鳴き声に聞こえない気がするんですよね。自分の感覚では平板なんだけどなあ。
こ(↗︎)ロロ、か(↗︎)ララ
夫にも頭高と平板とで聴き比べをしてもらったのですがやはり平板派でした。芥川龍之介がどう思って書いたのか知る由もありませんが。

「ヒヤア、ヒヤア」はもっとわからん!
どう読んでも蛙の声にならないので、歓声っぽくなるように読みました。

また「池中(ちちゅう)」と何ヶ所か出てくるのですが、「地中」と紛らわしいので「池の中」に読み替えました。文脈では明らかに「池」なのですが、耳で聞くと地面の方を連想しそうだなと思いました。朗読で耳に「アレ?」と引っかかってしまうと話が止まってくれないので置いてけぼりになるんですよね。今回の文章は芥川にしては平易な文章なのですが、ここだけ気になりました。
でも池中(ちちゅう)と原文のままで読んだ方がリズムがいいんです。興味がある方は原作を音読してみてください。

作品の大半が「大学教授のような蛙」の演説ですが、冒頭の描写に芥川節が炸裂しています。朗読で生かしきれているかどうかはさておき、ぜひ原文でみなさんしびれてほしいところです。

よかったら聞いてください。

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