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にんげんと豚。お見送りにいってきた。

見てほしい。この美しく哀しい瞳。

これから我が身に何が起こるかを悟っているような瞳。

初めてヴィジルに行った時もそうだった。瞳が印象的で、瞳が全てを語っていた。

彼らはもうこの世にいない。

この写真だけが、この写真だけが彼らが存在していた証。

彼らは殺される為だけに生まれてきて、この殺される日まで様々な虐待と暴力を受けてきた。


狭い狭い場所から、トラックに乗せられてみる景色。頬を撫でる風。太陽に照らされてかすかに暖かくなる肌。

彼らにとってはどれも初めての経験。

6ヶ月もの長い苦しみの最後に待っていたのは、殺されること。

恐怖とストレスの中を耐え抜いても、友達や兄弟が次々と目の前で殺され自分の番がやってくる。

それはどれほどの恐怖だろうか、どれほどの苦痛なのだろうか?

人間の私たちにそんな事を想像する事はできるだろうか?

残念なことに、多くの人が目を背け、彼らの立場になってみようともしない。

自分もその一人だった。

目の前に出されたどうぶつ達の身体の一部、欲を優先させ買ったどうぶつ達の身体の一部を食べている。

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あなたが食べているのは“だれ”ですか?

顔がついていて、目があり、口もあり、耳もあるだれかでがなかったかな?

彼らは最後の最後まで、どうか殺さないでくれと願った。

自分のお母さんやお父さん、兄弟達と、生きたいと願った。

そう、死ぬまで諦めずに生きたいと願った誰かだったのに、その願いは叶わなかった。

彼らにはその選択権がないんだ。

生まれてこないという選択も、生きていたいという選択さえも。

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見送る豚さん達が、自分の愛する家族だったら、私はどんな行動を取るだろうか?

最近そんな事をよく考えるようになった。

見送るだけのことは絶対しないだろう。法を犯してでも救うと思う。

彼らが家族でなくても、すがた、かたちが違くても、【彼らの命は彼らのもの】であり、人間の欲で支配して殺す事があってはならない。

私は今まで特別、どうぶつ達を愛する家族に置き換えて考えた事がなかったから、仲間の話を聞いた時には、涙が止まらなかった。

ただ見送るだけの自分に違和感を感じるようになった。

そして自分が見送る事だけしかできない事、視察に行って実際に起きている事を伝える為に、写真や動画しか撮れない自分がとても情けなく感じた。悔しいと思った。

23年間の間に染みついた、種差別に基づいた考え。人間至上主義の考え。

それはヴィーガンになった今でも同じなんだと感じる。

法律を守った上での活動に限度がある事が悔しくてならない。

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今日も。

明日も。

毎日まいにち。

日本だけで4万と5千もの豚さん達が殺され続けているというのに。

頭で考えても、本当に起きていることなのか実際に自分の目で見てみないと想像ができない。

こういう事が上手く社会から隠されているから、普通に生活してると簡単に忘れてしまう。

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誰に聞いても、皆どうぶつを苦しめることに賛成はしていない。

“ 苦しめたくない。

どうぶつを助けたい。

どうぶつが可哀想。”

どうかその気持ちを大切にしてほしい。

人間は誰かの痛みや苦しみを考えた上で、行動を選択できる唯一の存在なのだから。

誰かを苦しめる生き方ではなく、苦しむ誰かを救う生き方をしたいね。

行動を変えるのは遅くない。

ヴィーガンでも、ヴィーガンじゃなくても良い。彼らと、隠された被害者と、向き合いたい人がいたらメッセージください。🤲🏼

Be on the right side of history…🕊♡

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