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ずっとこのままでいいのに。

職場の同僚は、年末年始が嫌いだと言った。

「ずっと気持ちがまっすぐのまま、揺れないほうがいい」

と彼女は言った。上がりもせず下がりもせず、平坦な毎日が続くといい。そう言った。

年末年始にはなぜかいつもより多くの休みがもらえる。大掃除をして、紅白歌合戦を観て、おせち料理を食べて、東西ドリームネタ合戦を観て、箱根駅伝を観る。

12月31日の23時59分から60秒数えると『ゆく年くる年』の中でお坊さんが除夜の鐘をつく。それまでの「去年」の空気が一変して「新年」になったように感じられる。そんなはずはないのだけれど、確かにそう感じる。テレビもいきなり「おめでとうございます」と言いだす。それをもう40回以上繰り返している。毎年だまされている。

町は静かになる。みんなもたぶんいつもより多く休みをもらっているのだろう。もちろん働いている人だっているのだけれど、なんだかいつもと違う。手を抜いているわけではなかろうが、いまにも止まりそうに感じられる。

そんな年末年始が終わった。僕の休みも今日で終わりだ。明日からはいつも通り仕事に出て「今年」に慣れていくのだろう。というか、もうすでに年末年始の気配は消えようとしている。歳神様は1月7日までいるそうだけれど、それよりも早く年末年始は去っていく。

1月2日あたりには、そのことが寂しくて仕方がなかった。布団にもぐってそのまま出たくない冬の朝みたいに、僕は「ずっとこのままでいいのに」と嘆いた。同僚が年末年始を嫌う気持ちがすこし分かった。

休みが終わって、普段の生活がはじまれば、きっとなにかが起こる。
布団から出て町に出れば、楽しいことやうれしいことにだって出会うはずだ。

なのに、なんにもしたくない。ずっとこのままでいい。テレビを観て、おせちを食べて、漫才やコントに笑っていられればいい。そうして安らかに一年が終わればいい。今年の年末年始はしばらくそんな気分でいた。人生が先に進むのにどうしても気後れしてしまう。しがみつきたくなる。

1月4日のいま、だんだんとその気分も失せてきている。不思議だ。年末年始はひとつの気持ちにとどまることすら許してくれない。『ゆく年くる年』のあっけなさのように、人の思惑をこえて、年はどんどん先に進んでしまう。

早速、置いていかれそうになりながら、しぶしぶ年を追いかけはじめる。
僕は年末年始を好きなつもりでいたけれど、案外、あの同僚とおんなじ気持ちがあったのかもしれない。ずっとこのままでいいのに、そうはいかないんだよな。ハッピーニューイヤーってやつは。ハッピーもニューも、布団から出て、はじめなければはじまらないのだ。

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