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誰の声を聞くか。

「他の人になんて言われるかわからないので」
「誰かから後から言われて、嫌な思いをするかもしれないので」

ある企画を進めていて、そんなことを方々から言われた。
え?と思って続きを聞くが、どうも話がぼんやりしていてよく分からない。

ぼんやりしているのは「他の人」や「誰か」と呼んでいる人の顔だ。
一体それが誰なのか、聞いていてイメージが湧かない。

不安なとき、人はそんなふうに存在しない存在を幽霊のように出現されることがある。自分の中の人物像を自在に動かして、起きるのかどうか分からない悲劇を脳内で起こしたりもする。

時にはそれをよかれと思って、人に忠告する人もいる。善意の体をしているから、受け取りはするのだけれど、どうも釈然としない。

人はそんなに見えない誰かからの追及に備えて、生きていけるものだろうか。それよりも追及しないか、したとしても面と向かってやりあえるような場をつくって、ぶつかり合うことの方が健康的ではないか。

昨日「見えないもの」の話を書いたけれど、人の気持ちを豊かにしたり、うれしくしたりする「見えないもの」もあれば、怯えさせたり、動きを抑えようとする「見えないもの」もある。

それは結局、人がなにを信じているかの違いにすぎないのだろうか。
そんなことを思いながら、あと20日ほどになった今年を思ったりしている。

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