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棒に当たる。

棒に当たるのは、犬が歩いているからなのだな、と思った。

なにか物事をするときに棒に当たる人と当たらない人がいる。
当たらない人の方がスマートに見えるけれど、当たらない人はもしかしたら、あらゆる物事から退いていて、なにもしていない人かもしれない。

かつて僕はそういう人だった。
何事に対しても、頭の中でくるくると考えて「こうすればいいじゃん」とかわして、実際に棒には当たらなかった。自分のことを「要領がいいな」とすら思っていた。

でも違った。いまの僕は、どこに行っても棒に当たる。時々、胸の奥にぐさっと刺さって痛い思いもする。全然要領がよくないし、自分は頭がわるくなったんだろうかと思うときもよくある。

でも、たぶん違うのだ。
棒に当たるようになったのは、自分が「したいこと」をしているからなのだ。

「したいこと」をしている時、それは楽しい。
同時に「したいこと」をしている状態というのは無防備で、棒に当たったときに心が思いっきり揺れるということでもある。

当たって棒を揺らすこと。それだって何かの役に立っていたりする。
棒が揺れることで「なにかがおかしいのだろうか」と他者が感じるきっかけにもなる。かわしている人ばかりだと、こうはならない。

したいことをしたい人がしたいようにしていること。
それは理想的に語られるが、そんなにスムーズには進まない。
ごつごつ、がりがり、ぶつかったり引っかかったりしながら、しかし突き進んできた轍が、次の人の通りやすい舗装された道路になる。

だからといって、舗装されたところばかり歩いているわけにはいかない。
僕らの心の中の犬はいつだって、棒のあるところを求めているのだと思う。わんわん。

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