セカンドオピニオン

セカンドオピニオン。

先日、奥さんがある人に占いをしてもらった。
僕たち夫婦と面識はなく、プロとして占いをしている人だ。

そこで初対面のその人に告げられた内容が、僕が直感で「こうじゃないか」と感じ、日頃から伝えていたことと見事に一致していた。

驚くと同時に、なんだかホッとした。

僕はある頃から、考えより直感を優先して人生を進めるようになった。
直感の示す道筋は、常識から外れているようなことも多く、そんな時は「ホントかよ」といぶかりながら進んできた。こわいなと思う場面もあった。

けれど、今までのところ、ついていって後悔したことはない。
直感は「思い通りの人生」を超えた「思いがけない人生」の扉を何度も開いて、僕に見せてくれた。

とはいえ、直感は「そう感じる」というものでしかない。
人に論理的に説明できないし「無茶苦茶だ」と言われたら「そうだよね」と苦笑するしかない。

それでも時に「そうとしか思えない」という強い直感もあって、それが通じないときには相当困る。自分でも訳のわからない、馬鹿らしいことにハマってしまっているのかもしれないと思う。でも直感だから確かめようもない。

奥さんが占い師さんから聞いたことは、その「そうとしか思えない」直感が示していたことだった。

僕が奥さんに言っても「それはあなたの願望でしょ」と言われてしまうようなこと。僕自身それが直感なのか、願望なのか分からなくなるようなこと。けれど「そうとしか思えない」こと。

医師の診断結果を信頼するために、もう一人の医師の診断を仰ぐことをセカンドオピニオンというが、この占いは奥さんだけでなく、僕にとってのセカンドオピニオンとなった。

「本当にきちんと感じ取っていたんだ」と僕は驚き、安心した。

元々、僕自身は占い好きとか霊感がどうと話すような人ではなかった。
『オーラの泉』を熱心にみたりすることもなく、ただ普通に会社員をやって、社会起業を志して進んでいたつもりなのに、どこからか道を外れて、いまやすっかり「その界隈」に親しくなった。

占い師さんは、このような直感を使って生きることへの移行を「三次元から四次元へ」と表現したそうだ。わかる気がする。

三次元から見たら危なっかしくて仕方がないような、でも四次元から見たら、それを使わない方が危なく思えるような、そんな感覚。

ところで、ここまでこの感覚のことを「直感」と呼んできたけれど、一番伝わりそうな言葉を選んだだけで、本当はなんだかよく分からない。

インスピレーション、霊感、超感覚知覚、魂の目的、リーディング、心の声、いろんなところでいろんな言い方をされているものと似ている気もするし、違うのかもしれない。

僕自身は「人生がそう言っている」という言い方を好んでいる。
僕がどう思おうと思うまいと、人生が望んでいる方向があり、その感覚についていくという姿勢、生き方。

でも、そんなの伝わらないのが当たり前で、実際、身近な人にうまく言えず、孤独を感じることも多い。

周りに似たような生き方をしている友達は多いから、孤独を感じる必要はないのだけれど、結局、最後の最後は、自分一人で信じて、疑ってを繰り返すしかない。そうして進む道に若干、疲れてもいた。

だからこそ、このセカンドオピニオンはうれしかった。
まったく見ず知らずの人が、初対面で言ったことは信憑性が高い。
しかも、ちょっとかすっただけでなく、どこもかしこも合致していたのだから。

直感は直感でしかない。
ついていってみるまで、確かめようもない。

だけど、方向は外していない。

そのことに安心したし、そして僕は本当に「人生」と対話しながら生きているんだな、と思った。

と、自分にとっては随分前から当たり前になっていることをこうして書いてみると、けっこうヤバイこと書いてんなーと思う。二十代の自分が読んだら、引くだろうなあ。

思えば、遠くへきたもんだ。

奥さんと付き合いたての頃に、行きつけのスタバでスピリチュアルの話をしていて「俺らヤバイな。引き返せないところまで来てるな」と笑いあったことがあったけれど、いまの自分たちはそれよりずっと遠くに流されている。

でもまあ、もうしょうがないよね、行くしかないもんね。

こういううれしいんだか、かなしいんだかよく分からないような、へんな「しあわせ」の形もあるのだと思う。

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