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こころの天気図。

生きれば生きるほど、「こころ」の力はすごいものだなと圧倒される。
怒り、悲しみ、寂しさ、空しさ、そのほかにも数限りなくある、名付けようのない「こころ」の変化にいつも人は振り回される。その反応に駆られて、一生を棒に振る人だっている。

それは気象によく似ている。「気分が晴れる」「心が曇る」などと言ったりもするが、じっさい、人の内界には空の天気と同じような気象がうごめいているように思える。

豪雨や台風の到来が避けられないように、心の気象も時々荒れる。瞑想とかアンガーマネジメントとか、それをなんとかやり過ごそうとする手法はたくさんあるが、大抵は失敗して巻き込まれてしまう。

作曲は、もしかしたらその内界の天気図を描く行為かもしれない。

というのも、最近、僕の仕事である『あなたのうた』や『作曲事始』で出てくる歌に、本人が意識していない心の気象が映ることが多かったからだ。

たとえば、この写真が

晴天

ただの「晴天」や「青空」以上のなにかであるように、人がふだん語ることの中にも「それ以上のなにか」が含まれている。

日常会話をしているだけでは焦点が合わないそれが「曲をつくる」という営為によって現れてくる。それは、作曲という営みが無意識を介在させやすいスペースを有しているからだろう。

本人の意識にとって陰になっているそれが、曲の中にあらわになると、その人がより立体的に、魅力的に見えてくる気がする。それは大抵、ネガティブさを帯びているにもかかわらず、その人のことをより「いいなぁ」と思うのだ。

今日の『作曲事始』でも、たった一つの言葉が現れた瞬間、つくっていた曲の意味や場面、そして作者としての本人の姿が急に鮮明になった。

「なるほど、こういう曲だったのか!」と目の焦点が合うような感覚。それが落雷のように訪れる。見えるまでは決して見えないが、見えてしまうとそれにしか見えないそれが。

人と、自分と、こういう知り合い方ができるのが作曲の醍醐味だと思う。
「仕事」から逃げ回ってきた僕が、これらの仕事は飽きもせず続けている理由がわかる気がした。


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