帰るのです_

ワークショップの、そのあとに。

僕はいままでたくさんのワークショップに行き、感銘を受けてきた。

いまでもそうで、二月に妻が橋本久仁彦さんを呼んだ円坐の余韻にふと心が惹かれたりする。

でも、大事なのは、ワークショップは終わるということ。
そのあとはくるりと前を向いて、自分の人生を生きるのだ。

僕は時々、前を向いたあとの自分の人生にがっかりすることがある。
どんなにワークショップでいきいきしても、日常で「全然だめじゃん」ということがある。

シンデレラの魔法が解けるみたいに、元の自分に戻った気がしてしまう。

「ワークショップならできたのに……」

その時の自分が恋しくなって、ワークショップに戻りたくなる。
実際それでセミナーやワークショップに入り浸った時期もある。

でも、ワークショップは終わっているのだ。
そして、目の前には、自分の人生がある。
それは誰も代わることのできない自分の仕事として残されている。

近年、僕は参加者としてだけでなく、主催者としてもワークショップに関わるようになった。

ひらいた場で起こる様々な出来事に、参加してくださった方のうれしそうな表情に、喜びをおぼえることもしばしばだ。

それでもなお、ワークショップが終わった後のほうが大事だと思う。
そこで生きていく時間のほうがずっと長いし、そこを生きるのは自分ではなくその人なのだから。

では、ワークショップなんて何の意味もない、気休めに過ぎないと思っているのかというと、そうではない。

そこで起きた出来事が、参加してくれた方の人生になんらかのよい影響を及ぼす。そういう場でなければひらく意味がないし、そうなっていると思いたい。

時にワークショップでの出来事は、不可逆的変化となって、自分の心身に浸透する。

それは解けない魔法のように、人を別人に変える。

僕自身にもそのくらいインパクトのある体験が、いままでにあった。
ワークショップで学んだことを習慣にして、意図的に自らを変えていったところもある。

微細なレベルでは、いつだって不可逆的変化は起きていて、僕がそれを見逃しているだけかもしれないのだけれど、いずれにしても、僕はワークショップをひらくとき、その人たちによい意味での不可逆的変化が起きたらいいなと思っている。

さて、僕は三月下旬に「男が『男になる』とき」という場をひらく。

この場では、歌うことを通して、日常、封印している「男であること」の喜びを感じてもらえたらと思っている。

力強さ、雄々しさ、雄大さ、凛々しさ、威厳……自分にはないと思っていた資質が、実はある。

そうした「男」の資質は、どんな人の中にもあって、様々な理由でふだんの人間関係の中では表現されないでいるのだ。

その体感が後の人生に根付いていけるように、暮らしの中の「いままで」を「これから」に替えていけるように、ここで「男になる」体験を楽しんでもらえたらうれしい。

どんなかたちでもいい。
男が「男になる」と女性はきっと喜ぶ。
恋愛してたって楽しいし、パートナーといても頼りになる。
夫婦の良好な関係は、子どもが安心して暮らせる土台にもなる。

そして、男が「男になる」と、違うことにはっきりノーと言える力になると思う。それは社会をよりよい方向に変えていく礎になる。

「男」がよいかたちで「力」とつながることで、いろんな人がらくになるし、いろんなことがうまくいく。

この場をひらくとき、そんな未来を思い描いている。

大事なのは、ワークショップのそのあとだ。
そこにインパクトを与えうる経験を、参加してくれた方々といっしょにつくれたらと思っている。

かく言う僕もその渦中にいて、いわば「男見習い」の状態にある。
そんな見習いの自分がひらいても、起こるべきことは、ちゃんと起こる。仕事きっちり、という感じで。

僕がこんなやつでも「場」にはその力がある。
僕というより「場」がその仕事をする。

僕はそのことを信頼している。
だから、この場をひらけている。

三月二十一日、『魂と繋がる歌の唄い方®︎』~男が「男になる」とき、よかったら、お越しください。


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