曲をつくると自分のコンディションがわかる_

曲をつくると、自分のコンディションがわかる? (メルマガ『生きているQ』より)

この記事は、㐧二音楽室のメルマガ『生きているQ』の配信記事を加筆修正してお届けしています。(配信登録はこちらからどうぞ。)

こんばんは。澤です。

聴いてくださり、
ありがとうございます。

先日、『作曲事始』で
面白いことがありました。

僕自身の経験談や
お互いに起きたことを
おしゃべりしながら
鼻唄から曲ができるまでを
伴走するこのお仕事。

その日は、夏から
取り組んでおられる方との
セッションでした。

前回から三週間ほど間が空いて
練り直した曲を
聴かせてもらったんですが、
「ん?」ちょっと違和感。

「いかがでしたか」
と感想を尋ねてみると、
ご本人もなんだか
しっくりきていない様子でした。

以前まであった
ワクワクする感じや
謎めいた感じが薄れ、

意味はクリアになったけれど
なんだか歌っていて
楽しそうじゃない。

「なにかあったんですか」
と尋ね、話を聞いていくうちに
プライベートで
引っかかっていることがあり、

そのことに取り組んでいる状態と
唄っている状態、
そして、歌詞に現れた感じが
見事に一致していることが
わかりました。

歌をつくることは、
無意味に思えるものに
意味を見出したり、
言葉や音の偶然を
楽しんだりする遊びです。

その遊びは
論理に偏りすぎたり、
頑張りすぎたり、
余裕がなくなったりすると
やりづらくなります。

できなくはないのですが
そうして「頑張った」歌からは
「遊んだ」歌にある
見えない精霊のようなものが
失われてしまう。

このことは僕に、
もう一つの発見と
仮説をもたらしました。

それは

「人は『ふつう』にしてれば
 作曲できるのではないか」

ということ。

ワクワク感や謎めいた感じなど、
それまで現れていたものが
曲から消えた。

このことは、

「作曲できている状態と
 そうでない状態が両方現れた」

ことを意味します。

それはスキルとは関係なく、
参加者さんの状態によって起こりました。

つまり、その状態に戻りさえすれば、
また作曲できるようになっていく。

だとしたら、作曲する力って
「そもそも人の中にある」
のかもしれない。

そんなふうに思ったんです。

もちろん、
一人だけに起きたことですから
誰にでも当てはまるかはわかりません。

それでも

「作曲できる状態は
 そもそも人の中にある」

「それは人がふだん
 『ふつう』にしてるときに
 現れている」

としたら、なんだか面白い。

作ろうとしないだけで、
曲はいつでもその人を通して
現れたがっている。

ってことかもしれないですもんね。

こういう発見ができたのも、
参加者さんと安心して
おしゃべりができる関係が
あったからです。

「ん?」という違和感を表明することも
彼女だからできたと思います。
(音楽は繊細なので、
 ちょっとした一言が
 心を閉ざすきっかけになりえます。)

そういう意味で、
僕は「講師」じゃないんだよなあ
と思いますし、
『作曲事始』もレッスンじゃない。

作曲の話をしていたはずなのに
プライベートで
どうしたらいいかわかったと
興奮している参加者さんを見て、

「これ、なんの仕事だっけ?」

と、一瞬、思いましたが、

「ま、喜んでくれたから、いっか。」

と思いながら、面白がってやっています。

そんな『作曲事始』では
今日も参加者さんを募集しています。

ただ、作曲のやり方が知りたい方も、
作曲を通じて自分を探求したい方も、
はたまた、今回のように
その枠を超えた仕事が
現れてきてしまうのに立会いたい方も、
どうぞどうぞお越しください。

どんな方に、どんな曲に出会えるのか。

いつでも楽しみにお待ちしています。

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