意味は存在しているか?

人間なら誰もが「幸せになりたい」と願っているはず
しかし「幸せである」とはなんだろうか

人間は幸福になるために、不幸を避けようとする
不幸を回避するために、医療・経済・IT・インフラなどの多くの分野で発展を遂げてきた

しかし、もし「不幸」なことが「幸せ」だったら「幸せ」とはなんだろうか
または、「幸せ」のための発展が「不幸」を生み出すとしたら、「幸せ」とは何だろうか

本稿では、メキシコのアステカの叡智を借りて「幸せ」を哲学したい

発展=豊かさ=幸せ?

人間はより豊かな暮らしを求め、そして幸せになるために多くの発展・開発を遂げてきた

効率性を求め、大量生産を可能にする機械を発明した
人が移動できるよう車を発明し、鉄の塊を空に飛ばした
より人間が長生きできるよう、薬を開発した

しかし、自分たちの「自然」を破壊してまで行う発展・開発に【意味】はあるのか

ここでいう「自然」は単に自然環境というだけではなく、「人間が本来コントロールできない/すべきでないこと」も含める

今後、技術がさらに進歩して人間が完全に「自然」をコントロールできる未来がくるかもしれない

地震は「不幸」をもたらすから、プレートの動きを止めてしまおう
台風は「不幸」をもたらすから、風の流れを変えてしまおう
障害者は「不幸」だから、出生前にDNAをいじってしまおう

このようなことができるようになったら「幸せ」は生まれるのか
こうすることが人間の「幸せ」の理想なのか

不幸=幸せの方程式

15~16世紀、スペインによるアメリカ大陸発見・征服前にメキシコで大都市を築き上げたアステカの「幸福」の概念を簡単に紹介する

彼らは「良い生活や便利な生活を送ること」を「幸せ」としていなかった

彼らは「自然に生きること」を幸せとしていた
彼らは「意味のある生活」を幸せとしていた

つまり、ありのままに生きることである
与えられた環境以上は望まず、自然に感謝して生きることである

「地球は転びやすい場所」だから不幸なことも起きる
でもその不幸に【意味があれば】それも「幸せ」であると

彼らは「生贄=生きた人間の心臓を神に捧げる儀式」を大切にした
それは、彼らが生贄を行わないと太陽があがらないと信じていたからだ

現代的観点から見ると、生贄の儀式は人権侵害であり不幸なことである
しかし、彼らは太陽を失わないためという【意味】をもって行ったのだ

そして、太陽があがることで存続される日常に「感謝しながら」生きたのである

意味を見いだす

今後、技術がさらに発達する
そして様々な分野において自動化が進む

ある農業機具メーカーの企業説明会にて、その企業が実現したい理想の米農業といった内容の動画を見た

その動画は
「自動で機械が動いて田を耕し、自動でドローンが飛んできて水・肥料をまき、自動で機会による収穫が行われ、自動的に食卓に並んだ白米を人間が食べる」
といった内容だった

ここまでも「自動的に」作られた白米に【意味】はあるのだろうか
「白米は白米だ。味も品質も変わらない」という意見もあるだろう

しかし、日本人と白米の関係は?文化は?
ここまで合理的に回る世界に【意味】は存在するのか?

意味を見いだす

自動的に作られた米に【意味】はあるのか
自動的に動く機械に生かされる人間は、どの程度自身の人間の「人間らしさ」を保てるのか

アステカの幸せの概念=「【意味】のある生活」
幸せになるために、人間がしていることが、もしその「意味=幸せ」を奪っているとしたら?

【意味】は守れるか?
【意味】は存在しているか?

※参考資料
¿Cuál era la idea de felicidad de los aztecas y qué podemos aprender de ella?
https://www.bbc.com/mundo/noticias-47552400#


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