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映画『窓際のトットちゃん』の感想

映画『窓際のトットちゃん』を見た。今日はその感想を書きたい。

結論をまずいうと、この映画は絶対に見た方がいい。DVDが出たら、買った方がいい。ぼくは買うつもりである。それくらい、おすすめの映画である。昨日見たばかりなのだが、もうまた見たい。

どこがそんなに良かったかというと、「誠実に作ってある」というところだ。観客におもねっておらず、真実に忠実に寄り添おうとしている。

多くの人が知っているところだが、これは黒柳徹子氏が子供の頃に体験したことをつづった自伝本が原作だ。つまり、一種のドキュメンタリーであり、事実がベースにある。それをドラマ化している。

ただし、「ドラマ化している」という前提もあるから、内容は事実そのものではない。「フィクション」であることは間違いない。
実は、こういう作品は作るのが一番難しい。なぜかというと、フィクションであることを理由に、「事実をねじ曲げようとする慣性」がどうしても働くからだ。

そもそも、事実というのはドラマほど「ドラマチック」にできていない。「事実は小説よりも奇なり」だが、同時に「事実は小説ほどドラまっチックではない」なのである。

それゆえ、この映画では事実をねじ曲げて、より感動的にする方法がいくらでもあった。しかし、その方法はあえて採らず、事実をそのまま伝えたのだ。それで、ドラマチックではなくなった部分がたくさんある。

だから、ドラマチックなフィクションを見慣れた人にとっては、いささか物足りない内容になっている。「全米が泣いた」というのはとても無理で、「半米が泣いた」いや「四半米が泣いた」くらいにとどまっている。

しかしながら、それでも制作陣は、誠実さを優先した。つまり、ドラマチックになる改変の道を捨て、それほどドラマチックではない事実に寄り添ったのだ。

では、具体的にどのような誠実さがあったのか? ここからは、少しだけネタバレになるので、それを了解した上で読んでほしい。

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