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ぼくが子供を学校へ行かせたくない理由

先日、小学生YouTuberが「もう学校へは行かない」と宣言し、それが沖縄の新聞に取り上げられてネットで話題になっていた。

これに対して、ネットでは驚くほど批判的な意見が集中した。多くの人が「学校に行かないのは浅はかな選択だ」と、この子供とその親を非難していた。学校に行かないと、将来生きていくのが困難になる——というのだ。

確かに、最も基礎的な教育すら受けず、その結果読み書きができなかったり簡単な算数の計算ができなかったりしたら、それは生きていくのが困難になるだろう。あるいは、今の社会にはまだ学歴で人を判断するところも残っているので、それがないと困る——という考えもあるだろう。

しかしぼくは、これからの世の中は、もっと競争が世知辛くなると予測している。読み書きができたり簡単な算数の計算ができたり、あるいはこういっては悪いが一般的な大卒くらいの学歴では、まともな仕事にはありつけなくなると危惧している。

だから、子供にはもっと特殊な能力を身につけてもらいたいと思っている。「特殊な能力」とは、新たな事業を生み出し、多くの人々を幸せにしたり楽しくさせたりする能力だ。端的にいうと、社会に貢献できる能力だ。

そしてぼくは、今、日本の小学校や中学校に行かせていたのでは、そういう能力は身につかないと考えている。むしろ、そういう能力を身につける可能性を潰されると思っている。だから、自分の子供を学校には行かせたくないと考えている。

だいたい、読み書きや簡単な算数の計算のみならず、日本の大学を卒業したくらいの知識は、学校には行かなくとも身につく。しかも、もっと短時間で習得できる。だから、余った時間はそれ以外の勉強に使ってほしい。

ちなみに、今ぼくが必要だと考えている勉強には、大きく以下の11項目がある。

1.一つの本をじっくりと読み込む読解力。

2.母国語に加え、英語と中国語を話し、かつそのニュアンスを把握する能力。

3.コンピューターのプログラミング能力。

4.数学という概念や世界観をおおまかにでもつかむ能力。

5.作曲の能力。

6.絵画——特にデッサン能力。

7.書道の能力。

8.運動能力。

9.地理の知識。

10.歴史の知識。

11.経済の知識。

こう見ると、上の11項目は大きく3つのカテゴリーに分けることができる。1から3は「言語」に関する能力。6から8は「脳の使い方」に関する能力。4と5はその両方が必要となるもの。9から11は基礎的な知識。

ぼくは、これからの社会は、基礎的な知識に加え、「言語」と「脳の使い方」についての能力で決定的な差がつくと考えている。そのため、これらの能力を子供に身につけさせたい。これらの能力をバランス良く伸ばし、その組み合わせで社会に貢献できるような事業を生み出してもらいたい。

そうしなければ、これからの時代はなかなか仕事にありつけないし、気持ち良く生きていくことも難しくなると思う。そして、上に挙げた11の項目は、今の小中学校では十全に学べないし、ぼくの生まれたばかりの子供が大人になるまでのこの先20年間においても、こういうことが学べるようにはならないと思う。

だから、ぼくは子供を今の日本の小中学校には行かせたくない。そして、多くの人が「子供は学校に行かせた方がいい」と考えていることに、少なからず危機感を覚えた。なぜならぼくは、時代はもっと急速に動いていて、学校の勉強をしているくらいでは生きていけない時代が、もうすでに来ていると考えているからだ。そのため、「子供は学校に行かせた方がいい」という考え方は、今の子供たちを窮地に追い込むことになると思ったからだ。

ただし、この議論はどちらが正しいのか、結果は未来にしか出ないので、今は決着を見ないだろう。そのため、この先も、多くの人が子供を学校へ行かせると思う。しかし、「子供にどういう教育を受けさせるかの決断」は今する必要がある。そのためぼくは、ぼくの考え方で、子供に教育を受けさせるつもりだ。

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