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日本人はなぜ「近代化」に成功し「脱近代化」に失敗したのか?

日本の歴史を考えていて、ふと「なぜ日本の近代化は成功したのか?」という疑問が湧き起こった。

日本は、1868年にいわゆる「明治維新」が起きて、そこから場当たり的に近代化に舵を切ったにもかかわらず、奇跡的ともいえるような「大成功」を収めるのである。昨日までちょんまげを結っていた侍や農民が、すぐに世界中の人々が賞賛するような工業製品を生み出すことに成功するのだ。

そうした成功が成し遂げられた理由は、大きく二つある。

一つは「天皇制」だ。天皇は、それまで一部のお侍だけが気にかけていればいい存在——文字通りの「雲上人」だったので、民衆はほとんど気にかけていなかった。そのため人々は、「日本」への帰属意識が薄く、代わりに「藩」が文字通り彼らの「国」であった。

これを「日本」に帰属転換させるための方策が明治政府には必要だったのだが、そこで天皇が利用されたのである。すると、これが驚くほど機能した。ほとんどの日本人は、天皇制をすんなりと受け入れたばかりか、熱烈に歓迎し、それまでの「藩」を捨て、躊躇いもなく「日本」に帰属するようになったのだ。

なぜそうなったかというと、日本に宗教がなかったからだ。日本の宗教は戦国時代に信長や秀吉に徹底的に破壊されたため、江戸時代はいうなれば「宗教の無菌状態」だった。人々の心の帰属先がなかった。そういう状態で人々は260年間も生きてきた。だから、もはや宗教がなんでもあるかもほとんどの人は知らなかった。

そうしたところに「天皇制」が空から降ってきたのだ。天皇制は、外来種ではない。自分たちより古い、古の昔から続く制度だ。そのため、ほとんど全ての日本人がこれを無条件で受け入れたばかりか、どっぷりとハマってしまった。宗教的に生きることの快感に酔いしれ、むしろ過剰なまでの近代化に突き進んだのである。

これは、実は天皇家にとっては「誤算」であった。なぜなら、天皇家は元々「矢面に立たない」ことでその権力を保持することを習わしとしてきたからだ。それが明治政府の策略にハマって、いきなり日本の「トップ」に躍り出てしまった。しかも全ての「国民」がこの状況に酔いしれたため、引くに引けなくなったのである。

この状態はおよそ75年間続いて、第二次大戦の敗戦をもって幕を閉じる。そうして平成・令和と時代が移り変わる中で、天皇家は着々とかつての「矢面に立たない」というあり方を回復しようとしている。「もうトップに立つのはごめんだ」というのが、彼らの率直なところだろう。

急激な近代化に成功した理由が、もう一つある。それは、日本の「文化」がそもそも近代化にマッチしていたということだ。

では、それはどんな「文化」か?

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