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懐かしさに出会いなおす旅【バリ島9日間旅の振り返り その3】

「過去」「現在」「未来」をじっくりと吟味しながら、時空間をこえた意識の散歩から戻ってくると、お腹がかなり空いているのに気がついた。
前泊した成田から早朝5:30に出発後、飛行機の中での機内食もジンジャティーとお粥のようなものしか食べていなかったので、無理もない。
ホテルの屋上にあるサウナから出て、自分の部屋へと戻りフロントに食事を頼む。

ベトナムに来たら本場のフォーを食べたいと思っていたので、フォーとベトナム風の焼き飯を注文した。

本場のフォーはやはり美味しい!
五臓六腑に染み渡る旨さ。

ホテルの屋上にあるサウナでは「吟味」という言葉について思索を巡らしていたが、そんな事はお構いなしに一気に吟味せずにフォーと焼き飯をほおばる。食欲に身を委ねぺろりと平らげた。

お腹も満足したので、ちょっとハノイの市街地を少しこの眼で実際に見てみたいと思い散歩に出る。

ホテルのエレベーターに乗ると、一人の男性が居た。
さっきサウナに入った時に屋上のプールのスペースで椅子に座ってタバコを吸っていた男性だった。

こちらの事を覚えていたみたいで、挨拶を交わし話してみると、フランス出身で数日間ハノイのこのホテルに滞在しているけど、この車やバイクの騒がしさにあまり慣れることができないから、明日別の場所に移動しようと思っていると語ってくれた。

「君はどこから来たんだい?」と訊かれたので、
「日本ですよ」と答えると、「あぁやっぱりそうだと思ったよ(笑)」という所でエレベーターが1階に到着した。「See you」と言って別れる。

ホテルから出て、街を散歩する。

大通りは車、バイクの往来はとても激しい。
(👇一応動画を撮影してみたので、その雰囲気を感じてもらえると思う。)

久しぶりに目的もなく街を流離(さすら)い歩こうかと思ったけど、スマホにローカルSIMを入れてないしあまり遠くまで行ってしまうと、迷って戻ってこれなくなると面倒なことになるので、近所をちょっと散歩することにする。

少し歩くと元ベトナム民主共和国主席のホー・チ・ミン氏の顔が描かれた看板が目に入った。写真撮影は禁止だったので、スマホで写真は撮ることができなかったが、先程GoogleMapのストリートビューで確かめてみたら普通にその撮影禁止の施設は映っていた。「ベトナム国防学院」という軍の学校のようだ。

以前だったら初めて来た国をほっつき歩きたいという欲求が自分の中でそれなりにあったから、何か外側の未知のものに出会うためにほっつき歩くという事をしてきた。

19歳で初めて独りで語学留学で1年程滞在したカナダ
20歳の時に10ヶ月程滞在した米国カリフォルニア州の
瞑想アシュラム(センター)
21歳の時に4週間ほど旅をしたインド
26歳の時に初めて旅行して、その後何度も行くことになるネパール

スマホもGoogleMapもなかったけど、未知の世界に触れたかったのだろう。迷って戻ってこれなくなるという事は全く気にせず、滞在先の住所だけ覚えておいて一切何も計画せず流離(さすら)い歩いた。

ハノイの街を歩き始めたが、そういう放浪したいという氣持ちがあまり沸き起こらなかった。もしかしたらいつの間にかに既知、すでに知っている世界、いわゆるコンフォートゾーンから飛び出ることが億劫になっていたかもしれない。

そう言えば振り返ってみると、このコロナ騒動が始まって3年間は物理的にも、精神的にも自分の中で馴染みのある世界の範囲内、テリトリー、縄張り内である程度決まったルーティンの日常生活を送っていたと言える。

自然豊かな場所で暮らしたり、場所に縛られない生活を送りたかったので、リモートワークで本格的にお金を稼ぐことができるようになりたくて、そのためにウェブ制作・開発のお仕事をスタートした。

この3年間でお陰さまで個人事業主として経済的な面では大分安定的に収入を得ることができるようにはなり、以前から住みたかった手つかずの自然が残る信州の山腹にもリモートワークをしながら生活することが出来るようになった。

経済的には以前に比べて遥かに安定してきていたが、自分の奥深い所でどこか虚しさや満たされない氣持ちがなかった訳ではない。

これまで自分の人生において実際に未知の世界に飛び込んだり、冒険することで人生が切り開かれていった事を少なからず体験してきた。そんな自分にとっては正直物足りなさを本音では感じていたのだろう。

フリーランスで場所に縛られず自由に働くことができるようになったとは言え、納期が迫っている時は土日構わず働かなければならなかったり、自営業の身は雇用されてる訳ではないので、常に営業をして自分自身で案件、仕事を取ってこなければお金にはならないという自営業ならではのプレッシャーもあった。

そして誰かの仕事を請負って行なういわゆるクライアントワーク(まぁ世界中の殆どの仕事がそうではあるのだけど)を最初のうちは勿論有り難がってやっていたが、2,3年と経つ内に自分の時間とエネルギーの大半を他人様の仕事やお金の為だけに費やすことに少しずつ疲れ始めていたのだと思う。

いわゆるクライアントワークだったら、自分以外の他の誰かでも出来る人は沢山存在する。いつまでも以前と同じようにパソコンの前に座って長時間この仕事を続けていくのは正直難しいと感じ始めていた。

だから副業サイドワークとして瞑想寺子屋というマンツーマンで本当の瞑想をお伝えするという自分にしか提供できないサービスを始めたり、ウェブ制作・開発の方は自分が何から何まで対応するのではなく、信頼できるメンバーとチームを組んで仕事をするようにした。

それでも未知の世界に飛び込む時の何とも言えない氣持ちや高揚感だったり、広い世界を冒険している時の感覚をお仕事だけを通じてダイレクトに実感することは中々なかったと言っていい。

そういった所からロッキング・オンやポンプという雑誌の創刊者の橘川幸夫氏が主催する深呼吸学部という私塾に参加して、これまで自分の人生の中で触れたことがない未知の世界に飛び込んでみたりした。

人生の折り返し地点、40代に入りこれまでの自分の人生を振り返ってみる必要を感じていたのだろう。そして今まで体験してきた事を自分の言葉で表現して発信していきたいという衝動にも似た創造欲求が蠢き始めていた。

しかしこれまで自分の言葉で自分の体験を表現をするという事を殆どやってこなかったので、表現したい衝動や欲求はあっても自分の体験や経験を表現する上で違和感がない言葉を見出すことが出来ないもどかしさや歯痒さも同時に感じた。

ベトナムハノイの街中を散歩していると、色々な想いがやって来ては去っていく。それらの想いの中で吟味したい考えがふるいにかけられて、その考えに言葉が与えられて出来事や体験を後から反芻していく。
「過去」「現在」「未来」という時間軸を言葉を使って自由自在に飛び回り、遊び回ることができたら堪らなく面白いんだろうな。

そんな事を想いながら、時間にしたら30分くらい散歩した。
ホテルに戻ると、丁度よい眠気がやってきてベッドに横になり眠ってしまった。

               - - - ✂︎ - - -

次の日の朝、Trip.comで予約したタクシーがホテルの前にちゃんと来てくれた。乗車時刻の10分前には待っていてくれたので、とても助かった。
ホテルからノイバイ国際空港までは渋滞もなく30分ほどでスムーズに到着。

出国手続きなどを済ませて、2時間後にはいよいよバリデンパサール国際空港へと出発。




懐かしさに出会いなおす旅【バリ島9日間旅の振り返り その4】に続く








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