懐かしさに出会いなおす旅【バリ島9日間旅の振り返り その2】
飛行機の中で山手國弘氏の90年代に録音された音源を聴きながら、瞑想していたらあっという間に時間を過ぎて、あと1時間位でベトナムハノイに到着する。
機内はエアコンが結構効いており、少し肌寒さを感じたので機内食を頼むことにした。LCC(格安航空会社)なので、機内食は全て有料だ。ジンジャティーとベトナムのカップラーメンのようなものを頼んだ。
暖かいものがありがたい。大分身体も温まってきた。
いよいよ飛行機は着陸体制に入る。
ベトナムは全く初めての入国。
トランジット(乗り継ぎ)で待機時間が20時間程あるので、空港から30分程離れている市街地のホテルで一泊して、次の日の朝ベトナムハノイからインドネシアバリ島へと出発する予定だ。
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ベトナムハノイの空港に無事に着陸。
入国審査などはスムーズに終わり、空港内に飛んでいるWifiに繋げてTrip.comで前もって予約したタクシー会社とやりとりをする。
前もってそのタクシー会社は親切にもLINEにメッセージを送ってくれていたので、何度かメッセージのやりとりをしてトラブルなくタクシーに乗ることができた。
初めてのベトナム。
10月でも蒸し暑さを感じる気候だ。
バイクが多い。
普通にスマホを片手で見ながら運転している人も多い😅
予約したホテルには空港から20分くらいで到着した。
このホテルもTrip.comというオンライン旅行会社で予約したのだが、
実はサウナがあるという理由でこのホテルにしたのだ。
早朝5:30に起きて成田空港に向かい、9:30に出発して6時間30分程でベトナム・ハノイに到着した。2時間の時差があるから、現在15時過ぎくらい。
全くトラブルもなくスムーズにベトナムに着いたが、長時間飛行機に乗っているのは疲れる。
長旅を癒やすために、シャワーを浴びて早速サウナに入る。
1人かもしくは2人しか入ることが出来ない小さなサウナだが、一応ロウリューができる。他の宿泊者も来る可能性があるので最初は部屋にあったバスローブを来てサウナに入っていた。
屋外にプールがあったが、水着を持ってきてなかったので
入ろうかどうか迷っていた。また他の宿泊者の男性が1人だけ近くで椅子に座りながらタバコを吸っていたので、公衆の面前で真っ裸でプールに入るのはちょっと気が引けた。
でも全身水に浸かりたい誘惑に負けて、そのタバコを吸っていた男性に「水着を忘れてこれから裸でプールに入るけど、大丈夫ですか?」と一応訊ねてから、入ることにした😅
「全然問題ないよ。見ないようにしておくよ。」
と微笑みながら、返答してくれたので、プールに入ることにする。
(👇がその屋上のプール)
(👇ホテルの屋上からスマホで動画を撮影してみました。ベトナムハノイの街中の喧騒。アジア特有のバイク、車のクラクション音を堪能出来るかと思います。)
サウナは一人か二人しか入ることが出来ないスペースだが、ちゃんとセルフロウリュ用の桶もある。
結局前泊成田のスーパー銭湯に引き続きベトナム・ハノイでもサウナに入る。
ロウリュをすると、中の温度はかなり上がってきて
じわじわと汗が出てくる。
外にあるシャワーで水を浴びてプールに入ってみるが、プールの水は生暖かい。
ホテルの屋上からハノイの街並みや主要道路がよく見える。
景色から異国風情が感じられる。
もう一度サウナに入ってしばらくすると、インド人と思われる家族連れが屋上スペースにあがってきてた。サウナやプールには入らないみたいだで、街並みを観ながら話をしているようだ。
一応バスローブは脱いで裸でサウナに入っていて、インド人は公共のスペースで裸にならないと聞いたことがあった。彼らを驚かしたくないので、しばらく彼らが去るまではサウナの中に居ることにする。
インド人家族の子供たちが外からサウナの中を眺めて、笑いながら何かを言っている。おそらく裸で入っていることが可笑しいのか、その事を言っているのだろう。
しばらくサウナに入ってるうちに、じんわりと汗も身体から滲み出て、
インド人の家族連れも何処かに行ったようなので、サウナから出てもう一度外のシャワーを浴びてプールに入って街並みを楽しみながら、異国情緒にぼっーと浸る。
今回このバリ島への旅に行くことを決めて、旅の準備をしている時に
何故か分からないけど親父のことが思い浮かんだ事を思い出した。
親父は8年前に67歳で亡くなっているのだが、1948年生まれという団塊の世代でもありベトナム戦争の事など話していたこともあるので、ベトナムも行ってみたかったのではというような事を直感的に感じた。
親父とは二人だけの海外旅行を一度だけしたことがあって、自分が28歳の時にマレーシアに5日間程滞在したのが良い思い出として残っている。
「過去」「未来」「見えない世界」「肉体のない世界」「時空をこえた世界」「現象ではない本体の世界」
そういったものというのは、意識をそこにフォーカスすると「気配」としてその人の存在が感じ取れたり、終わったと思っている過去の出来事が違った角度から新しい姿で立ち現れてきたりする。
だから肉体を持った存在としては、眼で見えているこの現象の世界には居なくなったかのように見えても、「見える世界」の背後にある「見えない世界」や「現象の世界」の裏側にある「本体の世界」ではずっと相変わらず存在している。
それは見えないけど、感じ取ったり受信する事ができる氣やエネルギーや振動(バイブレーション)や周波数(フリクエンシー)を通して、「気配」や「予感」「存在感」という形で捉えることができるのだろう。
親父が亡くなってから、肉体として居なくなったように見えても存在や気配をふとした時に実際感じ取ることができるようになった。
そして過去という出来事も終わったわけではなく、いつでも訪れることができるものであり、未来という出来事もまだ体験していないものではなくて、予感や気配という形で味わうことができるものなのだろう。
興梠先生が前に言っていた「吟味」という漢字のことを思い出す。
「吟味」の「吟」という字は「口」に「今」
「吟じる」とは「詩歌や俳句などを作ったり、節をつけてうたったりする」という意味。「過去」でも「未来」でも「今」この口を使って詩や歌を通して発信することができる。
だから「吟じる」ことは「アウトプット」「発信」にあたる。
そして「味」という字は「口」に「未」
この口を通して「未来」を味わうことかもしれない。
だから食べものや体験を味わうとは、
いま口を通って味わっている食べものが咀嚼されて、
身体が消化、吸収した後にやがて未来に栄養となる。
体験や出来事というのも同じかもしれない。
いま体験している出来事をよく噛んで味わうことで、
やがて未来の糧、血肉となる。
「味わう」ことは「インプット」「受信」「吸収」「受け取ること」
いま実際に体験したことを振り返って、こうやって旅日記という形で書くことで「過去」と「現在」と「未来」を「吟味」しているのかもしれない。
「過去」にインプット、受信、吸収、受け取ったことを
いまアウトプット発信することで、「過去」と「現在」そして「未来」を繋げてよくよく丁寧に味わうという事をしているのだろう。
いま書いていて、そのような事をふと感じた。
ぼっーとするのは良い。
サウナの中でぼっーとしながら、
「過去」「現在」「未来」をじっくりと吟味しながら、時空間をこえて散歩することが出来た気がした。
もしかしたら親父の存在や気配もこの旅に参加したがっているのだろう。
ベトナムハノイのアジア特有の喧騒を今どこかで味わっているかもしれない。
サウナの外ではハノイの街を走るバイクや車の「ブー」というクラクション音が鳴り響いている。
その音でネパールを旅していた頃の事が思い出された。
ネパールカトマンドゥーの街中でも同じようにクラクション音がにぎやかに鳴り響いていたからだ。
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懐かしさに出会いなおす旅【バリ島9日間旅の振り返り その3】に続く
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