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半年展 -2022 Spring- 5日目

今日の天気は快晴。気温も高く、日差しが厳しい日であった。昨日は寒くてお庭にいられない、今日は暑くてお庭にいられない状況に、なんか丁度いい気候にならないかな?と贅沢な気持ちを抱いていた。

今日はランチの予約で10名の団体が来る予定だった。初日に下見に来ていた主催者であろう人に今日も10人で来るので作品の説明をしてほしい、と言われていたのだ。
大都会東京でも、ド田舎の集落でも私の作品を見て、開口一番に「この作品は何ですか?」と聞いてくる人は一定数いた。半年展でも例に漏れず、「この作品は何ですか?」と聞かれることは多い。色んな人から沢山「この作品は何ですか?」と聞かれた為、会期の初日~4日目まであたりはある種の「この作品は何ですか?」アレルギーに陥ってたと思う。特に初日~2日目は、あまりにもこの質問をされることが嫌すぎて、お客さんが作品を見ているのに、話しかけなかったり、説明する行為を避けたいがためにそれっぽい説明用のキャプションを用意したりした。今日まではそれらの質問をされた時、それっぽいキャプションの説明文を読み上げるように説明していたのだが、内心「これで良いのか?」と思うことが多くなったのだ。
端的に言うと、私のその行為は(観客も含めて、世界に対して)誠実ではないように思えたからだ。確かに、この作品自体は観客が「この作品は○○だ」と、鑑賞体験を通じて観客自身に感じてもらうことが前提である。だからこそ、その前提に基づかない質問に対して嫌悪感を感じていた自分がいた。しかし、その前提を共有するような種まき自体を放棄してはいけないように思えたのだ。そう考えていくと、受け取り側(観客)が作品に対してどんな反応をしようと、私は私が考えていることを伝え続ける行為を止めてはいけないと考えるようになった。

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