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べったりと世界に触れる

お盆期間中に大雨の日が続いた。
前からしばらく雨の日が続く、と言われていた為、雑草抜きなど出来る事は前日までに終わらせていた。せっかくのお盆期間なのだから、家でゆっくり雨読の日々を楽しもうと考えたのだ。

バケツをひっくり返したような雨が降り続く中で、雨漏りなどが起こっていないか?家主さんの会社の人が様子を見に来てくれた。私は台風も大雨も古民家では初めて経験する事なので、雨漏りの心配をする事に初めて気づいた。

しばらくすると、実家の近くで避難情報が出される。電車も続々と止まった。これはひどい雨になる、と思った時、自宅の近所の地域にも避難情報が出された。
念のためと思ってゆっくり準備していた避難の用意を早急に取り掛かる。避難所の確認、再度ハザードマップも確認し、どんな状況になればどのルートで避難を行うのか、頭の中でシュミレーションを行う。本当は事前に考えるべき事なのだろう、しかし、今まで実家で暮らしていた時は、避難所に避難するような事を行ってこなかったのだ。

少し落ち着いた時に、ネットで避難グッズの入ったカバンを検索する。女性用ともなると、可愛い花柄やピンク色のリュックになる。避難所では女性は性犯罪に合う可能性も少なくない。だからこそ、避難所では女性らしい恰好を避ける事を推奨されているはずなのに、なぜ女性用の避難グッズのカバンはどれも可愛らしいものなのだろう?

最近、病院を退院したばかりの近所のおばあちゃんは家族の人が迎えに来た。夕方、少し雨が止み、外では人の話し声が聞こえる。雨が止む時を粛々と待つ、そんな姿勢が良い意味で動物らしい。対して、今日は一日家にいるんだ、と決めた自分の思考に何だか二項対立のような単純なものを感じた。

その夜は、いつも以上にソワソワしていた。一人で過ごす心細さに加えて、大雨の音が続く。結局、心配でお風呂にも入れず、避難用のカバンを横に置いて布団の中に入る。
布団の中に入って少し経つと、避難情報のレベルが一段階上がった情報に更新された。そこは近所の地区でもなかったが、恐らく近所の地区で情報が更新されるのも時間の問題だ。しかし、時間は夜12時を過ぎている。暗い夜道を大雨の中で移動することも、かなり危険だ。ひとまず、明るくなるまで様子を見ることにした。万が一の時、すぐに動き出せるように、部屋の中は明るいままにする。気付けば、朝。

朝5時頃、揺れを感じて飛び起きる。揺れが収まるまで、じっとする。地震か?と感じたが、ここ数日間の雨の影響により、近くで土砂崩れでも起きた事も想定された。咄嗟にスマホで調べると、地震だった。地震と分かった瞬間、自分の中ですごくホッとした。

その日の天気は曇り。数日間雨が降った事で土には水分が溜まっている。その関係で、土に根を張った雑草を根っこから抜きやすいのだ。いつもの雑草抜きの作業が3倍速以上のスピードで進む。朝の作業もひと段落し、アルバイトをしている農園に向かう。

農園では田んぼでお米を作っているのだが、一部の田んぼで倒木があったそうだ。発見した人が撮影した写真を見るには、そこまで大きい倒木ではないように思えたが、倒木の撤収作業に複数人で向かうことになった。

現地に向かってみると、想像以上に大きい倒木だった。しかも1本だけではなく、2本。

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土砂が崩れた影響で山側の木がフェンスを越えて田んぼ側に倒れてきていた。相当な力だったのだろう、フェンスの上三分の一は完全に潰れていた。

完全にイメージしていたものとは違う光景にただ驚く事しか出来なかった。水を張った田んぼの中に入り、倒木の枝木を、チェーンソーで細かく切ってもらったものを次々と田んぼの外側に運び出す。
水を張った田んぼの為、足も取られる。深いところに誤って入らないように、ヒエやコナギが生えているような場所を歩く。倒木が入り込んでしまった部分の稲は完全に諦めなくてはならない。最早悲しいとか悔しいの気持ちを通り越して、想像を超える自然のエネルギーにただ驚くしかなかった。

「これは完全に業者レベルやろ」と倒木を見た瞬間に話していた人達と泥まみれになりながら木の負荷が掛かっていない枝木をどんどん田んぼの外に運んでいく。農園の人も今回のような状況は初めてらしく、皆で驚きながらも作業を行う。

誰かがボソッと「こりゃ家も潰れるな」と言う。確かに、そうだ。目の前で倒れた木をみて納得せざる負えない。驚きと少しの恐ろしさが混じった気持ちの中で、世界に触れている感覚を味わう。
泥まみれで、汚れるし、重い。かと言って自分たちでどうこう出来るような事ではない。でも、これがこの世界に生きるって事なのかもしれない。

運び出した枝木を積んでいる時、「これを細かくカットしたら良い暖炉の木になるんやろうな」と言う人がいた。その人は「まぁ、こんな事でむふっとしてる状況やないんやけど」と続けた。しかし、私はそこで、きっとこういう事が拡張されてアートになるのだろう、と感じた。よく見ると、芸大生が喜んで持っていきそうな枝や木が大量にある。

人間の生きる意味なんて、そんな暑苦しい事を語るつもりはないが、世界はどこまで行っても自分の中で到底抱えきれるものではないし、たぶん人間は多少狂ってるぐらいの方が人生楽しいのかもしれない。私はまだまだアーティストとして鍛錬が必要である。

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