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半年展 -2022 Spring- 9日目

ついにやって来た最終日。
永遠に終わらないように思えた会期もいつかは終わるもので、そんな私は無事に搬出を終えて、ニコニコした気持ちでこの文章を書いている。単純に展示が終わった事への解放感でニコニコしている。しかし、もう少し付け加えると、今日は楽しいお客さんに恵まれた日でもあったからだ。

午前中は、畑をシェアしている同僚の友人一家が畑作業をしに来ていた。オープン時間までの準備をしながら子どもさんとお話したり、メダカの観察を一緒にしたりする。オープン準備を終えて、しばらくパラソルの下でボーっとしていると、同僚とその娘さんたちも畑作業をしにやって来た。今日は昨日と違って暑いせいか、娘さんたちは少し疲れた様子で気付けば一緒にパラソルの下でお喋りをしていた。彼女たちと話をしていると時より驚くことがある。すぐ目の前にある花の名前が分かったり、虫の名前をよく知っていたり、同じ農園に勤める同僚だからこその英才教育なのだろう。

畑作業を終えた同僚と娘さん達はそのまま食堂でご飯を食べることになった。ご飯が運ばれてくるのを待つ間、彼女たちは展示を見る。最初は「ここ入っていい?」と聞いてきたが、それからは遠慮なく、どんどん作品に反応していった。中央にあるお花が咲いた植木鉢を見ては「これ、何の花?」「あ、これは(花を指して)ニセモノだ」「ねぇ、何でニセモノなの?」と色々聞いてくる。彼女は東京の子どもにはない角度でどんどん作品に触れていく。その様子に、私はどこか心が救われていた。
今まで、作品を見ている人の大半が「どう解釈すればいいですか?」「ちっとも分からないので説明してください」「高尚で、敷居が高い」「私にはこんな感性がない…」という声を多く聞いた。当初は私もそれに対して、作品の説明の仕方を考えたり、「敷居が高い」と言われることに対してグルグル返答を考えることもあった。しかし、そんな大人たちの反応を軽く越えて楽しんでいる子どもたちの姿を見ていると、これは説明とか親しみやすさとかそんなものではなく、勝手に線を引いてる観客の問題なのでは?と考えるようになったのだ。

勿論、作品の打ち出し方や説明の仕方、色んな点において創意工夫が必要なのも確かである。しかし、それ以上に伝わらない人にはどう頑張っても伝えられないものがあるのも事実だ。それをいかに武装解除をさせて、作品の中に取り込むことが出来るのか?これが私の作品における試みであるのだと改めて感じる。

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