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嫌な目になろう!と学生へ提言中。その真意は。

タイトル画像:睨んでる感じの目つきの猫の写真

変な目つきをしなさい、ということではないのですが、学生にはかなり何回も「嫌な目で社会を見ろ」と伝えてます。

これを伝えると、リモート中に必ず数人がカメラに向かって変な目つきをする、というお約束のこともしてくれます。

もちろんそういうことではなく。

サービスを提案する側に回るのは、そういうことなんです、という記事を書きます。

世の中のサービスには2種類ある

世の中で展開されてる多くのサービス。サービス、と名前がつけられてないやりとりも含めると、何かに関わることなく生活することは不可能です。

お気に入りのドラマ、ミステリと言う勿れ、の中で出てきた言い方で、「山の中で一人で生活するのでなければ、だいたい誰かの世話になってる(そんな意味のセリフ)」というのがありました。

道を歩くだけでも、その道を作った人、整備してる人、がいるわけです。

スマホでこんな文章書いて公開するのも、電気、スマホ、通信、書いてる場所である家、朝寒いから点けてるストーブ、そこに来る燃料、その原材料を持ってくる舟、それを買った人、それを売る形にした人、など、誰かが用意したサービスの上で成り立ってます。

それらのサービスを超ざっくり2つに分けると、

①よく考えられたサービス
②あまり考えられてないサービス

があります。さらにそれぞれが、

・いい感じになってる
・あまりよろしくない

に分かれるので、細かく言えば掛け算して4種類。

でも、最初の2つで考えます。

サービスを受ける側、提案する側

サービスを使う側も二つに分けると、

(1)サービスを考えずに受けるだけの人
(2)サービスを考えて作る側の人

がいます。(1)の人はそれが悪いということではなく、立場的に作る必要がない人、ということでの分類。

仕事をする、ということの中には、出来上がった仕事を運用すること(人数的にはこちらが多い)と、その仕事自体を設計する人、がいます。

今教えてる学生は、技術系、コンテンツやサービス系、を学んでます。趣味を極めたいから、という動機の学生は多分あんまりいなくて、みんな何かを世の中に発信する側になりたいはず。

それにはいくつかの「素養」が必要だと思ってます。その一つが「嫌な目」。

提言するには自分の意見を持つ必要が

人の作ったものを解説するだけの人もいます。それも大事な役割。

でも、世の中に新しい方式を出すには当たり前ですが、独自の意見と提案を持つ必要がある。

既にある領域の「独自の提言」は、既にあるやり方の「否定、改良、別方向からのアプローチ」などが必要です。

遡って考えてみましょう。

自分の意見を出す

それには足りないところを補う発案をする

それには前の状態の「足りないところ」を知る

それには前の状態のプロセスを理解する

ということになります。

当たり前ですが

何も考えずにサービスを受ける

では、新たな提言を出すプロセスに進めないのです。

嫌な目とは、あら探しに似てる、というかそのもの

つまり、世の中のサービスを

・当たり前として受け入れるのではなくここが不便、と気付くこと

が全てのスタートです。そのあと、こうしたらいい、このようにした方がスムーズだ、と考えられるようになって、初めて提案側に回れます。

これって、あら探しと似てます。

あら探しと違うのは、より良くしたい、という感覚で見てるかどうか。やってる事は同じようですが、影響ない部分まで引っ張り上げる必要がないところは異なります。

でも、悪いところはないか?と見るので、総合的に似てくるわけです。

ゲームも楽しめません

これも記事に書こうと思いますが、ゲーム開発者になってしばらくしたら、変な現象に見舞われました。

他社のゲームを遊ぼうと思ったら、いつの間にか魔王と戦ってるつもりだったのに、他社のゲーム製作者と戦っていた、という現象。

例えば、シナリオ。

なんでここまでの情報で設計者はユーザーがそこに行けると思ったんだ?とか。

UIも。

どうして前の設定をここで見せないの?確かめに戻るの?面倒くさい、とか。

キャラデザでも。

なぜ、この生い立ちなのに!ここでそのコスチューム着せちゃうの?世界観はどうなってるの?とか。

もちろんゲームシステムも。

なぜ、ここでさっき習得した技でクリアできるようにしないの?さっきの苦労のカタルシスを与えられたじゃん、とか。

全てのシーンで、自分ならこうするのに、という「嫌な目」になってるのです。

後天的な「嫌な目」ができた例。

実は最初は音楽でした。

最初は作曲が仕事

最初は作曲の仕事が多く、ある時期に完全に「音楽鑑賞の趣味」が成立しなくなりました。

下のリンク:音楽が趣味でなくなる話、の自分の記事

聴く側ではなく、聴かせる側に回ったら、こうなる!という現象。

これは、デザイナーに聞いても同じでした。いわゆる芸術鑑賞が成り立たないそうです。展覧会に行っても、技法やバックボーンが気になって、全体を「楽しむ」ことができない。

きっと和菓子職人が他の職人が作ったお菓子をいただく時も、いろいろ気になってしまうでしょう。

つまり。

世の中にサービスを出す側にいる人は、他のサービスの仕組みや成り立ちが気になる。後天的であれ、元々の資質であれ、それは大事な要素。

だから、ちょっとモードを変えて、日頃からその目を養おう!というのが「嫌な目」を推奨する理由です。

さっそく効果が出ました

数回の講義でこの事を実例を交えて伝えた直後。学生から、

「講義の後、回転寿司行ったら注文パネルの設計が気になってしょうがなかった」

というコメントをもらいました。

これですよ。

そうすれば、彼はある種のサービスで必要な操作UIを、自分の考えで設計できます。

もちろん改良だけでなく、スクラッチで作れるようになるには、まだ他の見方も必要ですが、ますは第一歩。作り手側に来てくれたわけです。

世の中ツッコミどころだらけ

自分はすっかりこのモードで長年色んなことを企画してます。

なので、その辺を歩けば、何かのサイトにアクセスすれば、店員とやり取りをすれば、なんでも突っ込んでしまう。

嫌なヤツですが、それを事業として、少しずつ世の中を良くしたいのです。




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