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「レイアップを外したら怒られる」について改めて考えてみよう

①飛べなくなった「飛べるノミ」

「ノミ」をご存知でしょうか。
2mm程度の超小さい生き物です。

ノミはジャンプすると1m近く飛ぶそうです。

このノミを30cmほどのコップの中に入れ、蓋をしたという実験があったそう。

ノミはコップから出ようと何度もジャンプします。

しかし、ジャンプするたびに天井であるコップの蓋に頭をぶつけます。

やがてノミは、コップの蓋にぶつからない程度のジャンプしかしなくなります。

そしてその後、コップをひっくり返してノミを自由にジャンプできるようにしたそうです。


すると、どうなったか。


天井は無くなったというのに、ノミはコップの蓋程度の30cmしかジャンプできなくなったそうです。

ジャンプして1m以上も自由に飛べる環境があるのに、30cmしか飛べなくなったのです。

②レイアップを外したことに対して激怒することについて

バスケットボールの試合会場にいると、レイアップを外した選手に対して監督が激怒するシーンを見ることがあります。

バスケットボールにおけるレイアップはいわば「決めて当然」と認知されるシュートだからです。
「それくらい決めてくれないと勝てないよ」という指導者のメッセージが込められているのだろうと予想します。

激怒は、選手にとっては「罰」です。怒られるのは嫌なものです。指導者目線でいえば、激怒されるという不快感を与え、危機感を感じさせることで「レイアップを外さないように一生懸命練習する」ということを最終的な狙いとしているはずです。

しかしながら、「罰」によって学習するのは「良い行動」ではなく、得てして「罰を回避する行動」です。

子ども時代を思い返してみれば分かります。「勉強しなさい!」と怒られた子どもが真っ先にとる行動は、「勉強をすること」でなく「勉強をしているフリをすること」です。怒られない為の行動を考え始めるのです。このように、怒った側の狙いとは外れるパターンがあります。

バスケの話に戻します。レイアップを外したのを見て「怒る・大声を出す」という”罰”を与えたとします。先述の通り、指導者の多くは「レイアップが外れなくなるように練習をしてほしい」「集中してほしい」という意味を持ってその”罰”を与えますが、選手は、罰を回避する行為、すなわち「レイアップをしない」「攻めない」を選択するようになっていきます。

例として、かつては抜群の攻撃力を持っていた選手が、オフェンスでミスする度に信頼関係の成り立たっていないコーチに怒られ続け、全くシュートを選択しないようになってしまったケースがあります。

怒られることが怖くなった選手は、そもそも怒られないために「攻めない」を選択するようになってしまいました。そして、かつてのギラギラしていたメンタリティは失われていきました。

③この2つの話には関係がある

頭をぶつけないようにするがあまりジャンプできなくなった(しなくなった)ノミ。怒られるのが怖いがために攻めなくなった選手。

これらは関係があることのように思います。

自分は、選手に”蓋”をかぶせてはいないだろうか。

「甘い」とか「優しすぎ」とご指摘をいただく前に立場を明確にしますが、私は厳しい指導も必要だと考えています。なんならスポーツは最終的には根性だと考える派です。笑

「すべての罰がマイナスだ!」と言いたいわけではありません。フィードバックに怒りという感情を乗せてもらえることで、記憶に深く刻んでもらえることもある。怒ってもらえることで、自分の弱さに気づくこともある。適切な叱咤は、その個人の課題を明確に認知させることができます。

「信頼関係が成り立っている」という前提があるならば、"罰"が効果的に働くことがあることがあるのは私自身の選手経験からみても理解できるんです。きっとレイアップを外した私をみて恩師が怒ったとしても、私は落ち込むよりやる気が出ると思う。


けれども、リスクは頭に入れていないといけない。


もともと1m飛べた選手を、30cmまでしか飛べないようにしてはいないだろうか。どうなのだろうか。

用法容量を守らず誤った使い方をした際に悪影響が出てしまうのは、世界中の何にでも共通である。

立場上、現場では影響力を持つ身として、

慢心せずに生きていきたい。


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