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「言語化力」で呪いを解く

言葉の呪いにかかっている

私は、言葉の呪いにかかっていると思っている。

この歳になって、子供時代のことをとやかく言うのも、かっこ悪い気もするが、言葉を発するハードルが高い家で育った。

繊細な母親だった。
言葉尻ひとつ、言葉選びひとつ、少しでも間違えたら、深く傷つき悲しんだり、怒り狂ったりする母。
子供の私たちには強く当たることはなかったが、父にはよく発狂していた。

今でも記憶に残っている、わたしの失敗を一つ紹介する。

ある日「お母さんさ、みたい映画があるんだよね!」と言われた。
名作『タイタニック』だ。

私は「お母さんあーゆー映画が好きなんだね」となんとなく答えた。
「あーゆー映画」という言葉には

・洋画が好きだったんだね!知らなかった!
・サスペンス以外にも興味をもつなんて珍しいね!

の意味を込めたつもりだった。確かにポジティブな返しではないかもしれないが、ネガティブな返事をしたつもりもない。

しかし、母は泣いた。ボロボロ泣いた。
わたしは「またやってしまった」と思った。

自分では全く悪気はないのに、母を泣かせてしまうというエピソードは無限にある。こんなことは日常茶飯事だが、親を泣かせてしまうというのは、子供ながらに、ひどい罪悪感が襲うもので…

ここで母が泣いた理由がわかる人は、優しい人なんだと思う。
相手を思いやった言葉を、選べる人間なんだと、自信を持っていい。

母が私の言葉を、どう受け取ったかと言うと

「お母さん(のくせに)あーゆー映画(話題になった、ミーハーな作品)が好きなんだね(普段はサブカルぶってるのに)

怒り狂い、ボロボロ泣きながら反論する母を見ながら
「人間というのは、こんなにも言葉を補完して聴くんだな」と関心した。

こんなやりとりが日常茶飯事だった。
友達の家を褒めれば「うちはこんな家で悪かったね!」と怒り

店で食べたコーヒーゼリーに、生クリームが乗ってることに喜べば
「家のコーヒーゼリーは生クリームが乗っていないから、今まで嬉しくなかった?」と問い詰められた。

そんな環境で育ったくせに、わたしは言語化するのが苦手な子供だった。補完される部分を、丁寧に言語化して話せばいいのに、それができなかった。

母が泣くたびに、怒れるたびに、次はもう少し丁寧に話そうと思うのに、いざとなると言葉が出ない。

そんなわたしが閃いた、最高の解決策がある。

それが「たくさん喋らず、肯定的な言葉を短く話す」

これだ。うん!美味しい!すごいね!わかるよ!そう思う!素敵だね!この4つで大体は解決できた。表情まで作り込めば、パーフェクト。
おかげでわたしは、どこに行ってもいい子ちゃんでいれたし、母を泣かせることも減った。

中学〜高校までの交友関係も、大体これで乗り切れた。
どんな会話でも、誰といても、ヘラヘラしている、どの学校にも一人はいる特に嫌われることもないやつ。私の自己紹介をするならそんな感じだ。

人と深く関わりたいと思うこともなかったし、一人でいるのが好きだったわたしは、「たくさん喋らず、肯定的な言葉を短く話す」がいかに素晴らしいかを疑わなかった。

自分の意見を伝えようとすると、脳内で補完されるであろう言葉が無数に湧いてきて「何を言っても、相手が傷つく言葉」に仕上がってしまう。
だったら、誰も傷つかない言葉だけを選べばいい。そう思って生きてきた。

もしこの記事を読んでくれている人がいるとしたら、自分語りだという印象を持つだろう。


だって、わたしの話し相手、ディベート相手は、いつだって自分だったから。自分と同じ意見の人に、自分自身で納得させようとしているのだから。抽象的だろうと、論理的でなかろうと、汚い言葉だとうと、自分が納得できればいい。


そんな私が、生きづらさを感じるようになったのは。社会に出てからだ。

言葉にできない呪い

社会に出てからは、とにかく生きづらかった。
無欲だったわたしも、出世したい、彼女になりたい、こんな友達が欲しいと思うようになった。

自分にしたいことができたり、人と深く関わりたいと思えば思うほど「言葉」というのが必要になることを知った。

「短く肯定的に話す」だけの私では、生き抜いていけなかった。

プレゼンは通らない、好きな人とは喋れない、友達は増えない

とにかくいろいろなことが、うまくいかない。
わかっていた原因は、3つだ。

①話したいことが思い浮かばない
②話を続けることができない
③伝えたいことが説明できない

話を振ってもらえるのを待ち、どんな会話にもいいね!で返すだけ。
なんて面白みのないやつだろう。
映画を見ても、旅行に行っても、人に話したいエピソードは思い浮かばなかった。

一度、私が作ったプレゼン資料を見た上司から「詩を書いて欲しいんじゃなくて、根拠を書いて欲しいんだ」と言われたことが、今でも忘れられない。

そこから、自分なりの方法で行動しながら、紆余曲折でなんとか社会人生活を送り、結婚して子供を授かった。

しかし、今でも言葉の呪いは解けていない。
わたしは、変わりたいのだ。

呪いを解く鍵

わたしは、今の今まで、自分の生きづらさの原因が、わかっていなかった。

コミュ障・一匹狼、そんな便利な言葉があったものだから、自分にキャラクターをつけるという方法で、社会を乗り切ってきた。

生きづらさの原因に気づいたのは、副業ライターになってからだ。
ライターを始めた理由の一つに「子供に言葉の呪いをかけたくなかった」
というのがある。

よくある、自分と同じ道を歩かせたくないってやつ。
正しい言葉をたくさん知って、子供に背中を見せたいと思った。

苦手を克服したいと言う意欲もあったので、ライターを選んだのはいい選択だったと感じている。

「副業で月5万稼ぐ!」を目標に突っ走り、先月達成することができた。
ここで、一番お世話になったクライアントに、こんなことを言われた。

「文章が詩的すぎて、何が書きたいのかイマイチわからない」

わたしの課題は、話がまとまらないことにある。
今、こうして書いている文章も、思いついたままに指を動かしているので、かなりナルシストでまとまらない文章になっているだろう。

仕事のスキルをもっと上げるために、まとまった文章を書けるようになるために、古本屋に足を運んだ。

そこで出会った本で、自分の生きづらさの原因を知ることになる。

「言語化力」 三浦崇宏

「言語化力」この表紙に目を奪われて、中身を見ずにレジに持って行った。
1ページ、2ページとめくるたびに、「なりたい自分の輪郭」がくっきりしていく感覚を覚えた。

まさに、自分の人生に必要な本に「出会った」

この本の感想は、また別の機会に書きたいと思う。

なぜなら、今日は最後に、自分勝手でナルシストな文章を書き殴り、私の墓に放り投げる目的で書いているから。

ここからは、人生を変える言葉を集め、放出していきたい。
言葉で人生を変えることができるんだとしたら、言葉の呪いにかかったわたしは、文字通り生まれ変わるのではないか。

そんな希望を抱いてしまった。夢見てしまった。
私はこの本を、繰り返し読むと思う。
そして、自分のものにしたいと思っている。

この記事が、わたしの呪いの遺書になることを願って。
言語化力のトレーニングをしていくと、ここに宣言する。

言葉にできれば、人生は変わる

「言語化力」三浦崇広









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