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竜女の裔(すえ)

「…それを澄月(ちょうげつ)は、竜女(りゅうじょ)は真蛇(しんじゃ)の次に位置するもの、つまり、蛇になり鬼畜の世界に入った魂ぱくが、今一度人の世界へ帰ってきた、その茫然とした姿だというのです。だからまだ牙が残っている。しかし心情的には見るべきものは見つ、という悟りの境地でもあるというのです。そこには何の害意も熱情も残っていない、と」
 ー梨木香歩『からくりからくさ』

 竜女とは、お能の面のひとつという。
 嫉妬に狂った女の貌(かお)を、映した面にはいくつかあって、そのひとつが竜女だという。
 梨木香歩さんの小説で知ったから、それがどんなお顔なのかわからない。ほんの時たま能楽堂に足を運んでいたのも、もうひと昔、ふた昔前になる。そのうえ半分以上は夢の中だったから、観覧した作品に竜女が登場したかどうかなんて、全然覚えていない。 
 だから竜女の解釈は、梨木さんのそれに依る。
 見るべきものは、見つ。
 人でないものに化身して、もう戻れないけれど、すでに激情は通り越した。しんとした荒野に、ひとり立っている。

 一昨年に亡くなった母方の祖母は、辰年生まれと聞いている。
 気性の激しいひとだった。晩年は歩けなくなって、それでも頭も口も達者なものだから、ずいぶん伴侶と娘を困らせた。
 初孫でなかったにもかかわらず、周りがそうだったわねと言うくらいには可愛がられた。あいじょうの分、ひどいことも言われたから、二十歳の声を聞いたあとは距離を置いて、施設を訪ねたのは亡くなるほんの数年前。
 簡素な机に置かれた鎌倉彫の小引出は、牡丹の柄だった。
 一人暮らしも長くなり、通信販売で、えいや。思いきって購入した姿見は鎌倉彫で、まったく同じ意匠。むろん、相談などしていない。ぞっとした。
 亡くなってからは、おばあさんの血が流れているのだから。ひとと喧嘩をしても、割合すぐに、あきらめがつくようになった。嫉妬深かったかどうかは、知らない。それでも竜の系譜と心得て、楽になったのは間違いない。

 いろいろなひとの想いにふれる立場になった。
 そうして、世情もよくない。やめるつもりのお酒が増えて、心が荒れる。怒りっぽくなるのは、相手ではなく自分のせい。これはよくないと、この一週間ほどはニュースサイトと、実名のほうのSNS以外は見ないようにしていた。
 やっとすこしだけ理性が頭をもたげて、もう少し。竜の孫娘は暗がりから外界に目を凝らす。人の世で、やりたいことがある。人にはもう戻れないとしても、手脚はまだ人の形をしている。それで十分、用は足りる。
 見るべきものを見たなんて、えらそうなことを言えるほど、長い時間を生きてはいない。それは、最後に言えればいい。今はただ、仕事をしたい。そのために、使えるものはすべて使う。
 まずは立春。季節の境目までに、人の暮らしを取り戻す。目的ではなく、手段として。

 連休は、むつかしいことを考えない。ぐうたらしようと言い合って別れる。というのは半分嘘で、もう長いこと、文字のやりとりしかしていない。
 もともと、用事がなければ会うことはない。新しいウイルスのおかげで、ますます縁は遠のいた。それでも仕事熱心だから、困った助けてと言えば、すぐに飛んできてくれる。だから、SOSを出す前は、本当に困っているのか、自分で何とかできないか。なるべく、よくよく、考えるようになった。何事も、ずるはよくない。
 竜女の裔のあらぶる魂も、時たま、人とのあいだに生まれる空間に憩うことくらい、ある。
 触れたら壊れてしまいそうに柔いそれを、握りしめて潰してしまわないよう、そっと胸に抱く。
 これも、目的ではなく手段かもしれない。だから、何かを伝えるつもりはない。

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