孤独感とは何かを解明してしまったかもしれない

すごいこと気付いちゃったかもしれないと、
子供のような語り口で始めさせていただきましたが、もしかしたらこれ、誰も気づいていない見地なのでは?と子供のようにはしゃいでおります。
(いやみんな知ってるかもしれない)

何の話かというと、
「孤独感」の正体を突き止めてしまったかもしれないと思っております。

孤独感というと、周りに人がいないときに感じると一般的には思われていますが、必ずしもそうではないのではなかろうか?

例えば、集団の中にいたとしても、そこで自分に発言権が無いし誰にも相手にされなければ、それは孤独だろう。
では、ひとりぼっちの空間で研究に没頭していたらそれは孤独なのだろうか?
辞書的に考えれば、周りに人がいなければ孤独なのだろうが、私はその場合の研究者が孤独感を感じていないだろうと考えている。
このことを踏まえて結論を言おう。
アウトプット先があれば孤独感は無いし、
外にアウトプットできない状況に追いやられれば孤独感を感じる
ということである。

だから、研究者は研究対象に向けて自分の考えをアウトプットしているから孤独感を感じないし、
例えば、ゲーマーも対象のキャラクターを操作するアウトプットをしているから一人プレイのゲームをしていたとしても孤独感を感じないのではなかろうか。
そして、何も言えない状況下では孤独感を感じる。
つまりは周りに人がいるかは問題ではない。

言いたいニュアンスが伝わっていると信じたいが、
ここまで書いて、これは一般的に言われている孤独感という用語とは少し違う概念なのではないかと考えた。
そもそもこれまで人間が感じていた「孤独感」は孤独に由来するものではなかったんじゃないか?という説が私の中で生まれたのである。

であるから、この場合の「周りに何も言えない」、つまりはアウトプットが失われている状況を別の言葉で新たに定義する必要があるのかもしれない。私はそれを「可発性を失う」と呼ぶことにした。アウトプットしたり発することが不可能になったということである。(既に他の呼び方があるなら誰か教えてください。)

人には可発性を持っている状態と、可発性を失っている状態がある。
人生のステージが変わるごとに住む場所や立場が変わり、その度に可発性を失ったり取り戻したりを繰り返している。
そんな中で、良い人生とはいかに可発性を獲得するかにかかっているのではなかろうか?
可発性の対象は、人でなくてもルービックキューブやパズルでも良いし、ペットでもいい。noteでもいい。
何でもいいから、何かに思考を傾けてアウトプットすべきだ。
もし、人生がつらく、その状況からどうやって抜け出すかを考えるとしたら、自分が今、可発性を失っていないかを考えて、もし失っているならどうやって取り戻していくかを考えると良い。
そして、他人によって可発性を奪われているのであれば、人じゃないものにアウトプットをすることで可発性は取り戻すことができる。
その結果、人とコミュニケーションしなくなっても、集団の中で感じていた孤独感を感じなくなっているかもしれない。
人と関わることで孤独感を感じるが、
人と関わらずに周りに誰もいなくても、孤独感は感じないかもしれないのだ。
そしてその理由は「可発性」で説明できる。
だから、とにかく、手を動かして何かを発しよう。

そんな話でした。
以上です。失礼いたしました。

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