やっぱり多様性は認めた方が良い

どうやらnoteは多様性を持った情報プラットフォームを目指しているようなので、今回はそれに乗っかった記事を書きます。
割とちゃんと書こう。


多様化しても分断は起きない

多様化の話になると、「みんなの考え方が違うと人々がバラバラになって分断が起こる」という意見が割と出てくるが、そんなこと無いんじゃないかなぁと思う。
むしろ、社会で正しいとされている考え方の押し付け合いが減って「対立は起こりにくくなる」と考えている。

順を追って考える。
まず、多様性の無い社会は、ある種独裁的なパワーを持った人間の発言が正しいとされていて、その押し付け的な意見に適合できないものは廃されることになる。
反対に社会が多様性を獲得していくと、沢山の人が発信をして、それぞれの人の見るコンテンツが違う状況が生まれる。このことによってパワーが強すぎる人物が生まれにくくなり、特定の意見が絶対的に正しいという状況では無くなってくる。
そうなると苛烈に虐げられる人が減り、凄惨な復讐が無くなる方向に向かうはず。
人々の対立がデスカレーション(エスカレーションの逆)していき、もう少し溝が埋まり緩やかな流れになってくると思う。

多様化とはみんながマイノリティになるということ

多様化とはそれぞれの考えが違うということだから、多数派が存在せず、一人一人がマイノリティな存在になるということである。
そうなると思想の強固な結びつきによる多数派の形成はされにくくなり、人々は何となくの緩やかなつながりを持つようになってくる。
だから良くも悪くもパワーの強い集団みたいなものは生まれにくくなって、中心では無かった周りの人々がのびのびとつながっていって小さい活動が生まれるようなイメージがある。
その結果、多数派と少数派のパワーの差が縮まり、ステップが埋まって分断は起こりにくくなる。
以下で図示してみる。

むしろ多様性を認めた方が分断は起こりにくい

要するに、多様性を認めることで、全員がマイノリティになり、マジョリティが形成されなくなっていくことで、圧倒的に強くて正しい存在が生まれにくくなり、人々の間の分断が埋まってゆるやかでなめらかな社会になってくるはずなのだ。
実際、数年前だったら吹いて消えていたような考え方が、今はnoteに浮かんできたりしている。

今回は以上です。
様々な人が様々な意見を発信できると良いと思う。

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