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創作のために #2 そぼくな感情

 

 前回、「書くためには書かない時間が大事」というようなことを書いた。ややこしい逆説で、即効性がないのが難点だった。

 「毎日、退避場所でしずかに瞑想でもしていたら創造できるようになるのですか?」という質問には、「うーん、たぶん‥‥」と口を濁しそうである。いや、そもそも「何かを期待」して退避場所に行かれても困る。何も考えずに退避場所へ行き、そこでぼんやりしてください、ということなのだが‥‥。言い訳めいているのでこのへんでおしまい。

 さて、そもそも、なぜ、詩(作品)を書いているのか? という本質的な疑問がわたしの中で湧いてきた。

 なぜ、詩(作品)を書いているのか?

 以前、「詩集を作っています」と言ったら、「刺繍ですか‥‥」と反応されたことがある。(同音異義語だと気づくのにお互い時間がかかった) 「詩人は人間の屑」という、それこそ直球ど真ん中の表現を、ある本で読んだこともある。(なにも反論が浮かばず苦笑した) どうやら、詩人という肩書きにはかなりの曲解と揶揄、そして、異端者、社会不適合者という烙印が含まれているようである。(中原中也、萩原朔太郎、尾形亀之助など立派な先人のおかげである‥‥)
 話が逸れた気がする。

 なぜ、作品を書いているのか?

 これには、明確な答えがある。
 ただ、書きたいから、書いている。
 とりあえず(この言葉は便利で軽いが、なぜか本質も突いてくれる)、創作するときに、「〇〇したいから、〇〇する」というそぼくな感情は、もっとも重要である。これが無いと、絶対につづかない。

 では、この感情はどうしたら湧いてくるのか?

 難問である。

 




 

 

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