作品「路地奥の記憶」


路地奥の記憶        
 
 
 私の最初の記憶は、小さな黒い家に結びついている。京都の路地奥の家。父が生まれた一九四二年に建ったという。
 朝日の中、家族四人が目を覚ましたばかりの風景。夕暮れ時、二階の窓から見えた瓦屋根の家並み。豆腐屋の淋しげなチャルメラの音。家の前の道は、砂利道だった。雨上がり、いくつもの水たまりには、それぞれに澄みきった青空が映し出されていた。当時、ペダルカーで路地を疾走するのが好きだった。特に、近くのS字カーブをスピード上げて曲がることが楽しみだった。五月には、鯉のぼりが悠然と空を泳いだ。それは、高く、大きく、生きているように見えた。
 その家には、三歳まで住んでいた。郊外の伏見区に引っ越しをしたのだ。
 二十歳のとき、路地奥の家をひとりで訪れる機会があった。あれから十七年が経っていたが、小さな黒い家は、そのままにあった。別の誰かが、住んでいた。道は、舗装されていた。S字カーブは、見落としそうなぐらい小さかった。
 三十七歳を前に、再びその家を訪ねようと思った。二年前に父が亡くなり、あの二十歳の日から、また十七年が経とうとしていたからだ。夏の日曜日、九歳の息子を連れて、京都に向かった。以前は存在しなかった地下鉄二条駅で降り、南へ歩く。まだ、午前十時過ぎなのに、息子は「お腹がすいた」と言う。「もう少し待てよ」と答えつつ、地図を頼りに歩く。目的地周辺の記憶は、ほとんど無い。新しいマンションが立ち並び、京都の空を狭くしていた。
 十七年前、訪れた時に目印になったガソリンスタンドは、更地になっていた。壊しきれなかった分厚い壁に、ゼネラル石油のマークが残っていた。その横を曲がり、路地に入る。ここからは古い小さな家屋が両側に続く。それぞれの家には、鉢植えの植物が生い茂っていたり、政党のポスターなどが貼られていたりする。ある家の前で、若い親子が、一緒に遊んでいた。その幼子は、かつての私だ。路地奥に生まれ、歩き出した私と同じだ、と思った。小さなS字カーブは、まだ健在だった。「父ちゃんな、小さい頃、この辺で遊んでたんやで」と言うと、「ええっ」と息子も驚いていた。この場所を歩いている意味を、少しは理解してくれただろうか。カーブを過ぎて、少し歩く。
 そして。
 小さな黒い家は、消えていた。だいたいこの辺りにあったはずという場所には、別の家が建っていた。
 そうか……、と納得するしかなかった。予想できたことでもあり、それほど悲しくはなかった。あらゆるものは、消え去るのだ。父も、家も、そして、いつか、私も。そんなことを実感として分かるような年になっているのだ。ただ、路地だけは、そのまま残っていた。今度は、この路地の存在を確かめに来ようと思った。
 昼食は、ふたりで焼肉定食を食べた。牛肉が薄っぺらで、悲しくなった。







『歩きながらはじまること』(七月堂)収録
『朝のはじまり』(BOOKLORE)収録




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?