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邦楽評論 さよならポニーテール

「さよならは、きっと言えないよ」

みなさんは、「さよなら」という言葉の語源をご存知でしょうか?
「さよなら」は、江戸時代に使われた「左様ならば(さようならば)」という言葉の短縮系。「そういう事でしたら、それならまた今度」、という言葉が略されて「さよなら」となった訳です。

つまり。

「さよなら」と私たちが言う度に、「またね」と言っているのです。

僕は、「さよならポニーテール」ほど「さよなら」を歌い上げるのが上手い音楽グループを知りません。

昔から、別れを歌った邦楽は人気が高いです。荒井由実の「やさしさに包まれたなら」の子供時代との離別、卒業ソングとして名高い「卒業写真」、中島みゆきの「わかれうた」と「ひとり上手」の愛憎入り混じる離別。

人間は誰かと別れ、また出会い、そうして生きて、死んで行く。「さよなら」は当たり前の事だが、当たり前だからこそ、そうしたことが酷く残酷にさえ思えてしまう。それを歌い上げる作品は、いつも大衆の心を動かしてきました。

そんな中で、彼女たちの歌は美しく、残酷に「さよなら」を歌い上げます。

「眩しい時程 なぜだろう?
夢のように過ぎて
振り返る度 ぼくだけを残して
想い出は風になる
楽しいことばかりじゃなかったけど
忘れたくないことばかりだ
今さらになって言えることがある
ありふれた言葉だけど届けばいいな
きみにありがとう」

(『青春ファンタジア』収録「きみにありがとう」)

何故ここまで心に響くのか、生憎ですが僕には言語化することができません。

とても当たり前で、ありふれていて、そして大切なことを、本当に「ありふれた言葉で」心に届ける。今まであった全ての「さよなら」が、この歌を聴くたびに思い出される。過ぎ去ってから宝物だったのだと気付いた、あの「さよなら」を。

「『あなたに会えてよかったよ』
たとえこんな日が来ても
言い切れる程強くはなれない
でも
人はまた歩きだすのでしょう
今は想い出悲しいけど
いつかは笑って
さよなら言いたい
手を繋いだ帰り道とか
戻らないありふれた日々に
名前をつけるの
忘れないように
あぁ 愛と」

(『魔法のメロディ』収録「それを愛と…」)

別れるたびに、「出会わなければよかった」なんて思いたくない。

誰も彼も、そう思っていることでしょう。それでも、「会えてよかった」と言い切れるほどに強くはない。

それでも、それでも生きていかなければならないんですよね。
明日を信じて、前に進まなければならないんですよね。
だからこそ、今は不可能でも、「いつか」に想いを馳せる。

そんな、淡い恋のように夢見る心を、ただただ真っ直ぐに歌い上げている。

極め付けはこの曲。4thアルバム収録「円盤ゆ〜とぴあ」。

「さよならはきっと言えないよ
終わりかけた世界で
僕らは新しい
何かを探していて
終わるはずないって言ったって
涙を流したってきっと
新しい未来はきっと
どっか違う星にあって
宇宙(そら)に手を伸ばしてみたの」

終わりに近付いて、「さよなら」しなければならない時になって、そこが理想(ユートピア)だったのだと気付く。

それでも。
それでも、新しい未来はきっとここにはない。
次に進まなければならない。次に進まなければ、新しい未来には辿り着けない。

「さよならまたねバイバイ明日
呪文みたいに唱えて
まるで無かったみたいに
姿を隠しても 僕
はきっと忘れないよ
年老いてもずっとずっと
新しい未来はきっと
どっか違う星にあって
宇宙(そら)に手を伸ばしてみたの」

きっとこの歌は、「明日」を生きる全ての希望へのエールなのだと思います。

今日を終えて、明日に進む、「未来」へのエールなのだと思います。

だからこそこんなに、美しいのではないでしょうか。

一期一会、という言葉があります。
全ての出会いは2度と繰り返されることのない、一生に一度のものなのだ、という意味です。

「さよなら」という言葉は、実は「別れ」でありながら「またね」と願っている、という意味で矛盾しています。
それでも、私はそれこそが「さよなら」の本質なのだと思うのです。

2度と繰り返されることがないからこそ大切で、だからこそ願ってしまう。

「またね」と。

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