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霧に眠るは幾つの罪のレビュー:情報の海で推理に忘我する佳作―ベテランプレイヤーの試金石

マダミスが世に出てから5年が経過し、3000作品以上がリリースされ、プレイヤーも何十、何百と数多くの作品をプレイしてヒューリスティックな知識を蓄積している人も現れています。
マダミス作品も進化し続けていて、物語体験に重きを置くもの、プレイヤー同士の関係性を重視するもの、協力して推理にあたるものなど、百花繚乱の遊壇を迎えています。
そんな中でリリースされた『霧に眠るは幾つの罪』は推理にフォーカスした作品であり、圧倒的なインフォメーションからインテリジェンスを導出するため、推理に忘我することになります。

『霧に眠るは幾つの罪』の最大の特徴は怒涛の展開の中で膨大な情報の海から正解を導き出す推理要素であり、全プレイヤーがゲーム開始直後からエンディングまで頭をフル回転させることになります。
推理の中には情報の整理、記憶、観察、論理的な思考、ひらめきといったさまざまな行為が含まれていますが、本作ではそのどれもが必要とされ、インフォメーションをインテリジェンスへ加工する力、プレイヤーの推理の総合力が試されます。

事前情報に偽りなく推理の難易度はかなり高く、ベテランプレイヤーが揃っていてもすべての謎を解き明かすのは困難でしょう。
とはいえお手上げということではなくチャレンジングな範囲に収まっています。論理の飛躍や理不尽さはなく、謎を解き明かすための手がかりはフェアに提示され、プレイ後には心地よい疲労感を覚えます。
また後述するシステムの妙があるので、同程度の経験を持つプレイヤー同士であれば、推理が得意と胸を張っていえる自信がないプレイヤーであって楽しめるでしょう。

本作でもう1つ腐心されているのは、マダミスというゲーム形式の立脚点です。
作品のリアリティが高ければ高いほどマダミス要素は違和感として浮き上がります。
現代日本が舞台で、警察でもなく単にその場に居合わせた人が犯人を探すのか、殺人が起きているのに自らの目標を達成しようとするのか―――このジレンマに正面から取り組んでいる作品は少なくたいていははぐらかされていますが、本作ではきちんと理由付けがされています。
そしてそれが説明にとどまらず、犯人探しや個人戦の動機にもなっており、しっかりシステムとして機能しています。
ゲームシステムまで熟考してデザインされ、それがきわめて有効に作用する稀有な作品です。

また推理に目が行きがちではありますが、キャラクター造詣も作り込まれています。
自分(のキャラクター)がどういう人物なのか、なぜそこにいるのかということが掘り下げられていて、第三者視点で参加するプレイヤーではなく、作中の登場人物として行動することが担保されています。

より完成度を高められたであろう点があるとすれば、独自の要素を説明する根拠がアドホックでエレガントではない点です。
フィクションであるが故に、ともすればご都合主義的で、周転円やエーテル、デコヒーレンスのような存在にも感じられます。
複雑な作品なので作中ですべてを語るのは難しいにせよ、大きな伏流、それが時おり顔を出す泉がちらりと現れれば、よりダイナミックで統一感がある傑作に止揚されたでしょう。

将棋やチェス、ポーカーなどは頭脳を駆使するためにマインドスポーツと呼ばれます。
まさに『霧に眠るは幾つの罪』はマインドスポーツなマダミスであり、マダミスにおける新本格な佳作です。

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