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マーダーミステリーパラドクス体験版のレビュー:推理重視のマダミスの形式が体験できるアドベンチャーゲーム

『マーダーミステリーパラドックス このひと夏の十五年』でマダミスプレイヤーがもっとも気になるのは、「果たしてマダミスになっているのか」ということでしょう。
体験版をプレイしたところ、犯人探しそして推理面はマダミスが再現されていました。
ただ没入感や自由度という点では一般的なアドベンチャーゲームと変わらず、結果として体験版は、「マダミスの形式で推理できるアドベンチャーゲーム」というのが正直な感想です。
アドベンチャーゲームとしては十分に楽しめますが、1人プレイでマダミスを体験できると期待すると肩すかしを食らうでしょう。

何らかの事件が発生し、登場人物との会話から証言や物証を集めて犯人を探し出すという点において、確かに『マーダーミステリーパラドックス』はマダミスらしさがあります。
推理パートは密談、全体会議、犯人投票というフェイズに分かれ、ゲーム進行の形式もマダミスを踏襲しています。
密談の会話を通して物証やアリバイを集め、プレイヤーの推理によって犯人を導き出すという点はマダミスのプレイ体験がうまく再現されています。密談の会話によって各キャラクターたちの信頼を得て、投票でプレイヤーと同じ選択をしてもらうのも、1人の意志では犯人を決められないマダミスらしい要素です。

ではなぜマダミスと言い切れないかというと、プレイヤーが当事者としてゲーム世界に入って物語を紡ぎ出している感覚が乏しいためです。
主人公の天沢樹には複雑な生い立ちがあり、舞台となる離島を訪れています。しかしプレイヤーが彼を自分の分身と捉え、この場面で天沢樹ならばこう行動すると言えるほどの没入感はありません。一般的なアドベンチャーゲームと同様、主観視点ではなく客観的に主人公を操作しているという感覚が残ったままです。
密談も事件に関する疑問点や証言を選択肢から選んで質問するので、誰かと会話している感じはなく、事件解決のためにフラグを立てていくというプレイ感です。
自由会話は難しいにせよ、事件と無関係なプライベートのことを話して登場人物のパーソナルな一面が見えれば印象も変わったでしょう。

そして(少なくとも体験版では)物語が一本道で、プレイヤーが何かを選択して介在する余地がないというのも大きな要因です。
個人の目標は存在しておらず、犯人探しだけに注力しますし、犯人を間違えるとその時点でゲームオーバーです。
犯人探しとは別に誰かの目的に協力する、あるいは妨害することで物語の展開や人間関係が変わっていくということがあれば、プレイヤーが物語を変化させたと感じることができるでしょう。

マダミス的なゲームシステムは面白いですし、そのおかげでマダミスをプレイしている雰囲気を感じることはできますが、ゲーム体験は選択肢を選ぶことでゲームが進行する推理アドベンチャーゲームです。
勘違いしないでほしいのは、推理アドベンチャーゲームとしてみた場合は面白いということです。
推理で犯人を探すプレイ体験や島で起きている不思議な事件を解き明かしていくストーリーは魅力的です。
ただ体験感上、マダミスがシングルプレイゲームで実現しているとは言いがたいです。

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